イギリスの画家。コンスタブルと並んでイギリス風景画の黄金期を代表し,その作品数,後世への影響の大きさなどから,同国最大の画家といえる。
ロンドンのコベント・ガーデンの理髪師の息子として生まれる。幼時から画才を示し,1789年から4年間ローヤル・アカデミーに学んだ。そのかたわら当時需要のあった地誌的(トポグラフィカル)な銅版画の下絵や彩色に携わり,またカズンズ等の風景素描の模写複製の仕事をし,しだいに風景画家としての道を歩み始める。早くから国内の制作旅行を試み,1802年にはフランスとスイスにも旅行し,アルプスの壮大崇高な風景に打たれ,ルーブル美術館の巨匠たちの作品から大きな影響を受けた。同年ローヤル・アカデミー会員になり,このころから意識的に正統的アカデミズムの作品,すなわち大画面の歴史画を手がけるようになる。その生い立ちのゆえに歴史画制作に必要な古典的教養に欠け,ときに主題解釈上の誤りを犯しているといわれる。しかし,この分野の彼の作品では,主題の物語る〈過去〉が,背景として描かれた風景を満たす生き生きとした光や大気の〈現在〉によって生気を与えられ,そこに独特のドラマ性がみられる(《雪の嵐:アルプスを越えるハンニバルとその軍勢》1812)。歴史画制作のかたわら身近なイギリスの自然を描き,天候と大気が風景に与える変化を追究し,《霜の朝》(1813)などを完成する。19年夏に最初のイタリア旅行を行った。帰国後は,旅行中の無数のスケッチを用いて旅先に取材した大作に取り組む。また南国の体験は,彼の作品における光の役割を大きなものにした。28年,2度目のイタリア旅行を試み,29-46年にはイタリアに主題を採った作品を毎年のようにローヤル・アカデミーに発表した。他方国内では20年代末から30年代にかけて,サセックスのペットワースにあるエグルモント伯爵の館を足場に多くの風景画や室内画を描き,スコットランドなどにも制作旅行を行った。また,《雨,蒸気,速度》(1844)のように,汽車や船など,蒸気を用いる当時の最新の乗物の美にも開眼する。総じて晩年の画面からは事物の細密な描写が失われ,光や霧のもうろうとした表現がその主役となり,ことに40年以降多く描かれたベネチア風景にその傾向が顕著である。ローヤル・アカデミーの院長代理を務めるなど画家としての地位は高く,莫大な財産も築いたが,母親の精神病の遺伝を恐れてか生涯独身で,ロンドン市内に本宅と別の隠れ家でひっそりと世を去った。
ターナーの風景画家としての軌跡は,18世紀イギリスの伝統的な水彩画,地誌画に始まり,ロマン主義的情趣に満ちた物語(歴史)主題の風景画によって盛期を迎え,印象主義やときには非具象絵画さえも先駆する晩年の作品によって幕を閉じた。それと並行して,光と天候と大気という近代風景画の基本的課題を,生涯をかけて追究しつづけた。
執筆者:鈴木 杜幾子
イギリスの劇作家。初期の晦渋(かいじゆう)な寓意詩《変身の変容》(1606)のほか数編の詩の作者であること,晩年セシル卿のスペイン遠征に参加して途中アイルランドで病死したこと以外,彼の生涯について知られることは少ない。今日確実に彼の作とされる戯曲は《無神論者の悲劇》(1609ごろ初演)の1編のみである。〈正義の士の復讐〉という副題をもつこの悲劇は,無神論者の悪党の企むグロテスクな陰謀を軸に,腐敗した貴族社会の乱倫の図をなまなましくくりひろげる。さらに殺人と亡霊の出現がそれに加わって典型的なセネカ風復讐劇を予想させるが,最後は悪党がみずからの振り上げた斧でみずからの頭を割るという神による復讐の形で終わっている。
安直なモラル,生硬で誇張に富んだ文体,人為的な筋立てと生気に乏しい人物像などの欠点にもかかわらず,この作品に,最近まで彼の作とみなされてきた《復讐者の悲劇》(1606ごろ。T.ミドルトン作)に共通する生への否定的精神の表出を見取り,この劇をジェームズ朝悲劇の一つの代表作とする向きもある。
執筆者:笹山 隆
アメリカの歴史家。ウィスコンシン州出身。ウィスコンシン大学(1891-1910),ハーバード大学(1910-24)でアメリカ史を教え,1927年から死去までカリフォルニア州のハンティントン・ライブラリーの研究員。1893年《アメリカ史におけるフロンティアの意義》を発表,その後の一連の論文は〈フロンティア学説〉としてまとめられ,アメリカ史の見方を,当時主流を占めていた制度史,憲政史,東部中心のものから,フロンティアおよび西部という環境に重点をおく見方に変えた。同時に,アメリカ史を多数のセクション間の対立,抗争,合従,連衡という角度から見ることの必要性を強調した。1920年代には,アメリカ歴史学界は〈ターナー党〉になってしまった,といわれるほど強力な影響力をもっていた。
執筆者:渡辺 真治
アメリカ最大の奴隷暴動の指導者。バージニア州サウスハンプトン郡生れの奴隷で,生来豊かな才能に恵まれ,神秘的な傾向が強く,予言者として奴隷たちの信望を集めた。28歳のとき天啓を受けて奴隷に自由を与える使命にめざめ,1831年8月21日,天候の異常現象を神の啓示と感じ,数名の奴隷たちと暴動を起こした。翌日は数十名に膨張し,白人約60人を殺害した。暴動はまもなく軍隊に鎮圧され,ターナーも10月末に捕らえられて11月に処刑されたが,全南部は恐慌状態に陥り,奴隷取締りが厳重になった。1968年にピュリッツァー賞を受けたW.スタイロンの小説《ナット・ターナーの告白》(1967)は,これをテーマにしたものである。
執筆者:猿谷 要
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…ハムレット,マクベス,リア王,フォールスタッフなど,強烈な存在感のある人物を数多く造った点でも,彼の右に出るものはいない。
[屈折と終息]
シェークスピアの同時代人には,〈気質喜劇〉と呼ばれる卓抜な風刺劇の作者ベン・ジョンソンがいたが,ほかにも,《白魔》《モールフィ公爵夫人》のJ.ウェブスター,《復讐者の悲劇》のC.ターナー,《あわれ彼女は娼婦》のJ.フォードなど,すぐれた才能がひしめいていた。加虐,嗜虐,近親相姦といった屈折し倒錯した主題を,マニエリスム的な手法で劇化した彼らの作品には,ルネサンス末期の魂の苦悩と,痛ましい抵抗の身もだえが満ちている。…
…90年代にアメリカはイギリスに追いつき追いこして世界一の工業国になり,それを誇示するかのように93年アメリカの急成長を象徴する都市シカゴで盛大な万国博覧会が開催された。
[フロンティアの消滅と海外進出]
そのシカゴ万博の会場の一隅で,F.J.ターナーという歴史学者が1890年にフロンティアが消えたことを論じ,〈フロンティアの消滅とともに,アメリカ史の第1期は終わった〉とその報告を結んだ。アメリカの限りなき発展を象徴するフロンティアが失われたことは,ヨーロッパと異なるアメリカ社会というイメージの基底が失われたことを意味する。…
…アメリカの開拓は,単に農地を拡大し,農業生産を増大させたのみならず,開拓者精神を生み出した。歴史家F.J.ターナーは,西部開拓がアメリカの個人主義,経済的平等,立身出世の自由,民主主義を促進したと指摘している。このようなアメリカ開拓の精神と技術は,日本の北海道開拓にあたり,H.ケプロンやW.S.クラークによって伝えられたのである。…
…さらに約300年にわたって北アメリカに存在し続けたフロンティアはアメリカの文明や社会に大きな影響を及ぼした。アメリカ史におけるフロンティアの存在の重要性を初めて総合的に主張した歴史家F.J.ターナーの〈フロンティア学説〉を参考にしてフロンティアの意義について見てみよう。フロンティアと密接な関係にあるのが未開拓の自由地(フリーランド)である。…
…しかし,いずれも独自の国民様式として定着するにはいたらず,時代による質的な差も目だつ。また少なくとも19世紀のJ.M.W.ターナー,J.コンスタブルの時代までは,ジャンルを問わず大陸諸国に与えた影響よりは受けた影響の方が大きかった。島国という地理的特殊性がイギリス美術にどれだけ作用しているかは微妙な問題であるが,様式の伝播という点からすれば,大陸諸国との間に時間的なずれがしばしば認められる(マネ,セザンヌ,ゴッホ,ゴーギャンなどの作品がイギリスで初めて本格的に紹介されたのが,ようやく1911‐12年の〈マネと後期印象派〉展によってであったというのは,その一例である)。…
…一貫した体系を持つ学術論文ではないが,作者の美意識,とくに19世紀イギリス社会の芸術に対する無理解を断罪する社会改革的使命感がよく表れている。自然と人間との関係,ヨーロッパの風景画についての論考など,話題は広く多様だが,画家ターナーをいち早く賞賛している点などが注目に値する。【小池 滋】。…
…時まさにイギリス・ロマン主義の時代である。1792年17歳の若き画家J.M.W.ターナーが,翌年,青年詩人ワーズワースがここを訪れる。ターナーはその後幾度か足を運び数多くのすぐれた作品を残し,ワーズワースは5年後の98年に妹とここを訪れ,〈人間性の奏でる静かな悲哀の音色〉を耳にして《ワイ川再訪に際しティンターン・アベーの数マイル上流にて詠めるうた》を書く。…
※「ターナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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