ダレイオス1世(読み)ダレイオスいっせい(英語表記)Dareios I; Darius I the Great

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダレイオス1世」の意味・わかりやすい解説

ダレイオス1世
ダレイオスいっせい
Dareios I; Darius I the Great

[生]前550
[没]前486
アケメネス朝ペルシアの王 (在位前 522~前 486) 。ダリウス1世 (大王) とも呼ばれる。ペルシア名ダラヤウァウシュ。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの『歴史』によれば,王位簒奪者ゴーマータを殺して即位したといわれる。しかし彼の即位を不満とする反乱各地に相次ぎ,ようやく前 519年ペルシア,バビロニアおよび東方諸州の鎮圧を完了。次に国境を強化し遊牧民の侵入を抑えるため一連の遠征に乗り出し,西はエジプト,小アジアから東はインダス川に及ぶ領域を支配した。彼の業績は特にその行政面にみられ,キュロス2世によって始められたサトラップ (州総督) による全国 20州を支配する中央集権機構を確立,州による行政区分はアケメネス朝以後も続けられた。自身はゾロアスター教徒であったが,被支配民族には宗教的寛容を示した。一方,経済面では通貨,度量衡を統一するとともに,税制を整え,通商を進め,道路網を設け,ナイル川と紅海をつなぐ運河をつくるなど,帝国の隆盛に努めた。スーサからサルディスにいたる「王の道」は有名。彼はまた当時の最も卓越した王宮建築家で,一つの様式を確立し,スーサ (→スーサ遺跡 ) をはじめ,ペルセポリスバビロンなどにも新しい建造物を建てた。またビーシトゥーン (ベヒストゥーン) に残された磨崖の戦勝記念碑は楔形文字解読の手がかりになり,彼の事績は主としてそれによって知られる。前 513年スキタイ制圧のためヨーロッパへ遠征したが失敗。しかしアジアのギリシア人諸都市を掌握イオニアのギリシア都市の反乱をしずめた (前 499~前 494) あと,ギリシア遠征を企てたが,アトス沖で嵐に妨げられ (前 492) ,再度の遠征にもマラトンの戦いで敗れ (前 490) ,まもなくエジプトの反乱鎮圧中,陣中で没した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダレイオス1世」の解説

ダレイオス1世(ダレイオスいっせい)
Dārayavau Ⅰ[ペルシア],Dareios Ⅰ[ギリシア],Darius Ⅰ[英]

(在位前522~前486)

アケメネス朝の第3代王。ヒュスタスペスの子。簒奪者ガウマータを倒して即位,各地の内乱を平定した。王は州制度を創始し,兵制,税制,幣制,交通,駅逓の制の整備に努め,以後のペルシア帝国の基礎を築いた。前513年スキタイ征討の軍を起こし,また前492年,前490年の再度にわたってギリシア遠征軍を送ったが,いずれも成功しなかった。

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