ダールル・フヌーン(その他表記)Dār al-Funūn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダールル・フヌーン」の意味・わかりやすい解説

ダールル・フヌーン
Dār al-Funūn

イランカージャール朝の宰相アミーレ・カビールが 1851年テヘランに創立した最初の近代高等教育の学校。西洋の「ポリテクニク校」をモデルとし,王朝役人の子弟を対象に,軍事技術数学,科学,医学鉱山学を教えた。さらに地理学,フランス語などが追加され,プロシアオーストリア,フランスなどから教師を招き,イラン人教師とともに教えた。のちに学校は次第に分化して医学校,薬学校,軍事学校,高等師範などが設立され,これらはやがてテヘラン大学の基礎となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む