日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
チキータ・ブランズ・インターナショナル
ちきーたぶらんずいんたーなしょなる
Chiquita Brands International, Inc.
ラテンアメリカのバナナ栽培とその加工、貯蔵、輸送・販売を基軸として、北米市場を中心に発展した巨大多国籍企業ユナイテッド・フルーツUnited Fruit Co.の後身企業。1970年にユナイテッド・ブランズUnited Brands Co.に社名変更、さらに1990年、世界市場への進出強化のため、知名度の高いブランド名「チキータ(スペイン語で可愛い娘の意)」をとって現社名に改称した。今日では世界60か国以上で同社製品が販売されている。
[田口定雄]
創立までの経緯
1870年、L・D・ベーカーLorenzo Dow Baker(1815―1894)が、ジャマイカでバナナ160房を購入し、11日間かけてアメリカの東海岸ジャージー・シティに運んで販売したのが始まりである。1885年にはベーカーと企業家のアンドリュー・プレストンAndrew Preston(1846―1924)が、そのほかの投資家とボストン・フルーツBoston Fruit Co.を設立した。一方、1871年、コスタリカの鉄道建設を請け負ったマイナー・C・キースMinor Cooper Keith(1848―1929)は、鉄道貨物や乗客を確保するためにバナナ栽培に乗り出し、アメリカ南部で関連会社を通じてバナナの輸出販売を行った。やがてキースの関連会社3社はボストン・フルーツと事業協定を結び、さらに1899年3月30日、そのほかの関連会社を合併してユナイテッド・フルーツ社が形成された。
[田口定雄]
バナナ帝国の発展
1899年、全米にバナナを供給するためフルーツ・ディスパッチ社を設立。1903年にはニューヨーク証券取引所に上場を果たし、同年、冷凍船の導入によって、腐敗しやすい食品の洋上輸送に革命的変化をもたらした。また、1904年にアメリカと中南米を結ぶ無線通信網をいち早く完成、海上の船と熱帯の現場との通信を可能にした。1910年に病害に強いバナナ品種の開発研究に着手した。1924年、グアテマラ政府と25年間の開発契約を結び、1929年にはホンジュラス、ニカラグア、メキシコのバナナをアメリカに輸入するクヤメル・フルーツ社を買収するなど、多くの同業者を吸収し、バナナ帝国の基盤を磐石(ばんじゃく)にした。しかし、1930年に病害が猛威を振るって生産数が激減、また同年95隻を誇った船団も、1941年に第二次世界大戦で米英両国政府に徴用され、バナナ産業も停滞した。
[田口定雄]
第二次世界大戦後の発展
1944年にチキータの商標を導入。1958年、病害に強い新品種が登場。1961年から大規模なブランド・キャンペーンを展開、1966年にはヨーロッパにも販売攻勢をかけた。この時期は多角化も進展し、内外の企業買収により、レタス、セロリなどの栽培に進出したのをはじめ、各種果実など農作物、加工食品、製糖、食用油、紙パルプ、包装材料、レストラン・チェーンまで手がけた。ところが、1968年、機械・食品メーカーAMKなどからの買収攻勢に直面、1969年2月にはTOB(株式公開買付制度)によりAMKが株式72%を集めて合併した。AMKは1967年末に大手食肉製造加工会社ジョン・モレルJohn Morrell & Co.を買収していたので、結果的に食肉分野にも進出することになり、AMKは社名をユナイテッド・ブランズに改称した。その後、1984年にアメリカン・ファイナンシャル・コーポレーションがユナイテッド・ブランズの過半数株主となり、1990年現社名のチキータ・ブランズ・インターナショナルに変えるとともに、コスタリカでバナナ事業への大規模な拡張投資を実施、近代的な加工プラントを建設した。
1990年代は、熱帯雨林保護組織のレインフォレスト・アライアンスと共同で環境保護を目ざしたベター・バナナ・プロジェクトをはじめ、1993年から1999年末までに所有農場すべてが同プロジェクトの認証を取得している。一方、1993年にEU(ヨーロッパ連合)がラテンアメリカに不利な関税割当制などを実施したため、チキータとドールDole Food Co., Inc.の二大バナナ・メーカーを擁するアメリカとの貿易戦争に発展したが、2000年4月米欧間で和解した。チキータは、この間、競争激化に対処するため中核事業を絞り、ジョン・モレル食肉加工事業部を1995年に売却(現在スミスフィールド・フーズの傘下)、1999年に缶詰事業のアグリパック社を取得した。
[田口定雄]
日本との関係
1962年(昭和37)極東フルーツに資本参加し、フィリピン産バナナの輸入販売でスタート。1990年(平成2)4月、在日子会社を統合、ユナイテッド・ブランズ・ジャパン(出資比率はチキータ94%、三菱商事6%)を設立した。1997年、イタリアの生鮮品会社デナダイ・グループが資本参加したのを機に、バナナ以外の青果品事業も統合し、チキータ・デナダイ・ジャパンに社名変更。2000年(平成12)にはデナダイ社のアジア市場への本格参入に伴い、同社のブランド名「ユニフルーティー」を社名に加えてチキータ・ユニフルーティー・ジャパンに社名変更した。
[田口定雄]
その後の動き
EUのバナナ輸入規制やバナナの供給過剰による値崩れの影響を受けて経営が悪化し、2002年3月に連邦破産法11条(会社更生法)の適用を受けた。その結果、多額の負債が免除され、再建を果たしている。
2008年の売上高は36億0937万ドル、売上高構成はバナナが57%、加工食品が36%、その他の製品が7%を占める。
[編集部]