モンゴルの革命家,軍人,政治家。貧しい牧民の子に生まれる。ラマ僧院に入れられるが,1912年ウルガ(現在のウランバートル)に出て,やがてロシア語を修得。1914-17年,イルクーツクに学ぶ。このとき体験したロシア革命に強い影響をうける。19年中国によりモンゴル自治が撤廃されると,民族解放運動に参加。20年モンゴル人民党結成に加わり,モンゴル革命(1921)を指導した。革命後は,軍・党(人民革命党)・政府の要職を歴任し,一貫して親ソビエトの社会主義化路線を推進した。やがて指導権を確立し,39年首相に就任(以後,没年まで),ハルハ川戦争(ノモンハン事件,1939),対日参戦(1945)をソ連の援助のもとで指揮した。〈モンゴルのスターリン〉とも呼ばれ,その個人崇拝,独裁的傾向は,彼の死後批判された。しかし社会主義モンゴルの基礎を築いた功績は,今日でも評価されている。著作は多いが,《報告・論稿集》全4巻(1951-53)も刊行されている。
執筆者:中見 立夫
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1895~1952
モンゴル人民共和国の政治家,軍人。牧民の子として生まれ,ラマ(高僧)となった。ロシア留学後独立運動に参加,1921年の人民党創設に加わり人民革命の指導者の一人となった。23年に全軍司令官。36年のゲンデン首相解任後粛清を指導,39年から首相,元帥,外相。39年にはノモンハン事件(ハルハ河戦争)で日本軍を撃退した。52年,モスクワで病死。
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化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...
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