ツンベリー(その他表記)Carl Peter Thunberg

改訂新版 世界大百科事典 「ツンベリー」の意味・わかりやすい解説

ツンベリー
Carl Peter Thunberg
生没年:1743-1828

江戸後期に来日したスウェーデン植物学者,医師。ウプサラ大学に学び,リンネ師事。1770年医学博士。翌年,オランダ東インド会社のオランダ船に員外外科医として乗船,72年ケープ・タウン着,植物採集を行う。75年(安永4)バタビア経由で来日。翌春,商館長フェイトの江戸参府に従う。同年暮れ,バタビアへ向け出帆。78年,東インド会社を辞職,翌年帰国。84年ウプサラ大学医学・植物学教授,翌年学長となる。1807年ウプサラ大学博物館を開設,標本多数を寄贈した。著書に《日本植物誌》(1784),《ヨーロッパアフリカ・アジア紀行》(1793。日本に関する部分は《ツンベルグ日本紀行》として《異国叢書》所収),《喜望峰植物誌》(1823)がある。蘭学勃興期に来日し,長崎のオランダ通詞吉雄耕牛,茂仙之助ら,江戸の蘭学者杉田玄白中川淳庵桂川甫周らと親交があり,影響を及ぼした。
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関連語 著作 一男 片桐

百科事典マイペディア 「ツンベリー」の意味・わかりやすい解説

ツンベリー

ツンベルグとも。スウェーデンの植物学者,医学者。ウプサラ大学でリンネに植物学を学び,1775年オランダ商館医として長崎に着任,翌年商館長の江戸参府に同行杉田玄白桂川甫周中川淳庵らと親交をもち,影響を及ぼした。1779年長崎を去り,のちウプサラ大学でリンネのあとを継いだ。日本関係の著書として《日本植物誌》(1784年)と日本紀行を含む《ヨーロッパ・アフリカ・アジア紀行》(1793年)が知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ツンベリー」の解説

ツンベリー Thunberg, Carl Peter

1743-1828 スウェーデンの植物学者,医師。
1743年11月11日生まれ。リンネにまなぶ。安永4年(1775)来日し,外科医として長崎出島に滞在オランダ商館長の江戸参府にも随行,桂川甫周(ほしゅう),中川淳庵らと交流。帰国後,「日本植物誌」を刊行,日本産植物の学名をきめた。1828年8月8日死去。84歳。ウプサラ大卒。著作はほかに「日本紀行」。

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世界大百科事典(旧版)内のツンベリーの言及

【伊藤圭介】より

…名古屋の本草家の同好会嘗百社(しようひやくしや)の研究活動の中心となる。著書《泰西本草名疏》4巻3冊(1829)は,シーボルトからもらったC.P.ツンベリーの《日本植物誌Flora Japonica》(1784)の学名に和名を付したものである。付録下で,リンネの分類法を,日本で最初に紹介したことに意義がある。…

【しょうゆ(醬油)】より

…《和漢三才図会》(1712)にはもろみをしぼった液汁に火入れすることや,オオムギを使うと味がよくないので,市販品はみなコムギを使うとしており,このころすでに今日の濃口しょうゆの製法はほぼでき上がっていた。すでに寛文年間(1661‐73)からオランダ東インド会社を通じて,ヨーロッパへの輸出も行われており,1776年(安永5)に来日したスウェーデンの植物学者ツンベリーは日本のしょうゆがたいへん良質で,多量の醬油樽がバタビア,インド及びヨーロッパに運ばれると書いている。ヨーロッパではソースの味つけに珍重され,オランダ人は赤道を越えての輸送中の変敗を防ぐため,火入れをしたしょうゆを陶器の瓶に詰め歴青で密封していた。…

【中川淳庵】より

…江戸中期の蘭学者。本人はツンベリーあてにSjunnanと署名している。小浜藩医中川仙安(竜眠)の長子として江戸に生まれ,名は玄鱗また鱗,字は攀卿,通称は純安また純亭のち淳庵といった。…

※「ツンベリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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