グアテマラのペテン低地北部にあるマヤの大遺跡。19世紀末以来多くの学者が調査したが、1956年から1970年までペンシルベニア大学博物館が約60平方キロメートルにわたって広がる遺構の全体を調査した。中心部は16平方キロメートルを占め、周囲の沼地から約50メートルの高さに断続して立つ台地の上に、ピラミッド状神殿、「アクロポリス」とよばれる基壇の上の建物群、石碑などが建ち並ぶ。紀元前600年ごろから居住の形跡があるが、大祭祀(さいし)センターとして確立するのは紀元後250年以後である。もっとも古い石碑の年代は紀元後292年であり、マヤ文字の解読により、376年から768年に至る王朝の統治者の歴史が解明されている。アンデス文明古典期前期(300~600)にはテオティワカンの影響を受けたが、後期には独自の発展を遂げ、9世紀初めまで、低地マヤ最大の政治勢力であった。830年ごろから人口が減少し始め、やがて放棄された。
[増田義郎]
マヤ文明最大の宗教センターの一つ。遺跡はグアテマラのペテン低地北部にあり,高い基壇に乗った神殿と,アクロポリスと呼ばれるエリート(神官)の住居が,堤道によって結ばれて面積約16km2の中心部をなし,その周囲に多くの住居群が広がっている。碑文の暦から,紀元292~869年の年代が得られている。前期にはテオティワカン文明の影響を受けた。682年から800年にわたる最盛時には三つの王朝が栄えたことがわかっており,当時の人口は約10万と推定される。およそ900年頃衰退した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
グアテマラのペテン地方にある低地マヤ最大の都市遺跡。棟飾のある神殿とそれを支える高いピラミッド,持送り式アーチでつくられた宮殿,建造物複合体群を結ぶ大通り,しっくい彫像による建築装飾,石碑の建立など,マヤ古典期の初めから中心的存在として栄えたが,900年ころ,他の低地マヤ諸都市と同様放棄される。また,テオティワカンの強い影響も重要な特徴の一つである。
執筆者:大井 邦明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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