ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティル」の意味・わかりやすい解説
ティル
Till, Emmett
[没]1955.8.28. ミシシッピ,マネー
14歳で白人に殺され,アメリカ合衆国の公民権運動拡大のきっかけをつくったアフリカ系アメリカ人。フルネーム Emmett Louis Till。シカゴ南部に暮らす労働者階級の両親のもとに生まれた。1955年夏,ミシシッピ州マネーにある,大おじモーゼス・ライトの家に滞在し,綿花の収穫作業を手伝うことになった。当時は,1954年にアメリカ合衆国連邦最高裁判所がブラウン対トピカ教育委員会裁判において「公立学校における人種隔離教育は違憲である」との判決をくだした影響によって,特にアメリカ南部でアフリカ系アメリカ人に対する敵意が増していた。そのため滞在にあたり,母親から,口笛を吹くというような北部では許容されるふるまいも,南部では過剰な反応を引き起こしうることを警告されていた。
1955年8月24日,その日の作業が終わると,ティルは 10代の仲間とともに町の雑貨店に入った。その後起こったことについての説明はさまざまであった。少年たちの一人が,ティルを店のレジにいた白人女性キャロリン・ブライアントに声をかけさせたと証言するものもいた。報告では,ティルが店を出るときにキャロリンに向けて口笛を吹き,手か腰にさわって誘惑したとされた。同年8月28日の早朝,ティルはキャロリンの夫ロイ・ブライアントと義理の兄弟の J.W.ミランによって誘拐されたのち,激しく殴打された。さらに目をえぐられ,タラハッチー川岸で頭部に銃弾を受けて殺害された。遺体は 2人によって巨大な金属製の綿繰機の回転翼に有刺鉄線でくくりつけられ,川に沈められた。数日後,暴行されたために顔が判別不能となった遺体が川で発見された。父親の指輪をはめていたことが決め手となって身元は判明し,ティルの遺体は暴行事件から 2週間後,自宅のあったシカゴに運ばれた。ティルの母親は息子の棺桶を開け放し,葬儀に訪れた数万の人々に息子が受けた暴力の跡を公開した。無残な遺体の写真は雑誌や新聞に掲載され,事件は公民権運動のうねりを生むきっかけとなった。
ティル
Tyl, Josef Kajetán
[没]1856.7.11. プルゼニ
チェコの劇作家。小説家,編集者,評論家,俳優,演出家などとしても活動したが,主として 1830年代から 40年代にチェコの文芸復興運動に貢献,民主的な民族精神の高揚のため演劇を通じて活躍した。チェコ演劇の実際上の創始者で,作品には民衆的な要素が強い。喜劇『フィドロバチカ』 Fidlovačka (1834) ,おとぎ話風の『ストラコニツェのバッグパイプ』 Strakonický dudák (47) ,史劇『ヤン・フス』 Jan Hus (48) など。
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