百科事典マイペディア 「テオドリック[大王]」の意味・わかりやすい解説
テオドリック[大王]【テオドリック】
→関連項目カタラウヌムの戦|ヒルデブラントの歌
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…東帝ゼノンは正式な称号授与は行わなかったが,書簡では彼をパトリキウスと呼び,事実上オドアケルのイタリア支配を認めた。しかし486年以後,両者の関係は悪化し,489年には東帝の委託を受けた東ゴート王テオドリックがイタリアに進撃。敗北を喫したオドアケルはラベンナに撤退してなお対抗したが,奸計により493年3月15日殺害された。…
…スカンジナビアを発祥地とされるゴート人は,東ゲルマン人の一派で,3世紀に東西二つの集団に分かれた。バルカン半島や小アジアなどの,自らの領域内での東ゴート族の略奪・侵入行動に悩んだビザンティン皇帝ゼノンは,テオドリック大王の率いるこの部族に,オドアケル支配下のイタリアへの遠征を勧めた。テオドリック大王の軍隊は489年から5年の歳月をかけて,493年にイタリアの平定に成功した。…
…古代の土着民によって建設された町で,前89年,ローマの植民市になり,3世紀には軍事基地に変貌した。489年東ゴート王テオドリックに占領され,ランゴバルド王アルボイノAlboinoはベローナを居城とした。774年カール大帝がベローナを征服し,その息子ピピンはここを彼の王国の主要都市として発展させた。…
※「テオドリック[大王]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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