精選版 日本国語大辞典 「テッサロニキ」の意味・読み・例文・類語
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ギリシア北部、マケドニア地方テッサロニキ県の県都。英語名サロニカSalonika、古代ギリシア語ではテッサロニケ(日本語訳の『新約聖書』ではテサロニケ)Thessalonike。カルキディキ半島の基部、テルマイコス湾(サロニカ湾)の湾奥に位置する。人口36万3987(2001)。首都アテネに次ぐギリシア第二の大都市で、同国北部の行政、文化、経済、産業の中心地。穀物、皮革、たばこなどを輸出する港湾都市でもあり、鉄道・道路の基点ともなっている。繊維・皮製品の製造、ワイン、ビールの醸造、建築資材製作のほか、石油工業、フランス企業との提携による重金属・重化学、ドイツのジーメンス社との提携による通信機材など、工業も発達している。歴史的遺跡が多く、4世紀にローマ皇帝ガレリウスが建てた凱旋(がいせん)門、聖デメトリオス教会のバシリカ(5世紀)、聖ソフィア大寺院(8世紀)、ベネチア人またはトルコ人が建てた白塔(15世紀)などが残る。
テッサロニキ県は面積3683平方キロメートル、人口106万2300(2001推計)。県都を中心に工業が発達する。
[真下とも子]
紀元前316年ごろ、当時マケドニアを支配していたカッサンドロスが、テルメThermeなど20余の村を統合して建設し、彼の妻の名をとって市の名とした。マケドニア第一の港として発展し、前168年ローマに屈服、前146年には属州マケドニアの首府となった。アドリア海とビザンティウム(現イスタンブール)を結ぶエグナティア街道上の要地として帝政期に栄え、キリスト教の使徒パウロもここに伝道した。ビザンティン帝国時代、ユスティニアヌス帝によりコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に次ぐ都市の地位を与えられ、繁栄の頂点に達したが、1430年にオスマン帝国領となり、1913年ギリシアに譲られた。
[清永昭次]
エーゲ海北西端のギリシア第2の都市で,古代名はテッサロニケ。アレクサンドロス大王の妹の名に由来するといわれる。3世紀末から蛮族の侵入が活発化し,ゴートやスラヴ人の攻撃を受けた。ビザンツ帝国ではコンスタンティノープルに次ぐ都市として経済的・文化的に繁栄し,スラヴ世界へのキリスト教伝道の拠点にもなった。一方ブルガリアと対立し,12世紀以降はノルマン,イピロス専制公国,セルビア,ヴェネツィアに占領された。1430年にオスマン帝国領となると,イベリア半島から移住したユダヤ人の町として商業的に発展した。18世紀にはギリシア系商人が頭角を現した。その結果,西欧との貿易が拡大し,各国領事館が置かれた。20世紀初頭には青年トルコ革命の中心地となった。1912年にギリシア領に編入,その後の住民交換,ナチスによるユダヤ人一掃をへてギリシア化された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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