テニス(英語表記)tennis

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デジタル大辞泉 「テニス」の意味・読み・例文・類語

テニス(tennis)

長方形のコートの中央にネットを張り、これを挟んで相対し、ラケットでボールを打ち合って得点を争う球技。使用ボールによって硬式と軟式とがある。試合はシングルスダブルス混合ダブルスの3種がある。庭球。

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精選版 日本国語大辞典 「テニス」の意味・読み・例文・類語

テニス

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] tennis ) 長方形のコートを二分するネットを張り、ラケットでボールを相手側のコートに打ち込み合う競技。ボールにより硬式と軟式に分かれ、試合形式にはシングルス、ダブルス、混合ダブルスの三種がある。庭球。
    1. [初出の実例]「高等商業学校構内に於て、同校生徒と慶応義塾生との間にテニス試合の催しありたり」(出典:時事新報‐明治三四年(1901)一一月二四日)

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改訂新版 世界大百科事典 「テニス」の意味・わかりやすい解説

テニス
tennis

長方形のコートを中央で二分するネットをはさんで相対するプレーヤーが,ラケットでボールを打ち合う球技。テニスを日本的にアレンジしたものにソフトテニス(軟式テニス)があり,東南アジアを中心に国際的に普及しているが,テニスとは一般にローンテニスlawn tennis(硬式テニス)を意味するので,本項でも同様に取り扱う。
軟式テニス

11世紀にフランスの修道院で行われるようになった〈ジュ・ド・ポームjeu de paume〉(以下〈ポーム〉と略記)がテニス型ゲーム形態の原型と考えられている。ポームは〈手のひら〉を意味し,それ以前から行われていた手のひら,握りこぶし,前腕などを用いてボールを打ち合っていたゲームの一つの発展型が今日のテニスとなった。11世紀以後のポームの大きな特色は,手のひらの代りにラケット(木の棒の片面を平らに削った程度の素朴なもの)を用いはじめたこと,修道院の中庭をコートとするコートの固定化・定型化への道を歩みはじめたこと,対陣するコートの境界線の代りにネットを採用したこと,などである。こうしてポームがテニスとしての基本要件を整えると,たちまちのうちに王侯,貴族の新しいボールゲームとして普及していった。ポームはまず12世紀にフランスからスコットランドに伝わり,遅くとも14世紀にはイングランドに伝わった。しかし,〈テニス〉という呼称はまだ成立していない。今日確認されている文献上の初出年は1399年で,詩人J.ガウアーが〈tenetz〉と表記している。これを手がかりにして推測されている説は,フランス語の〈トゥネtenez〉の英語表記であるとするものである。トゥネは相手の注意を促すための間投詞で,〈さあ,いいですか〉という意味であるから,日本の初期のテニスプレーヤーたちが〈ノーティスnotice〉といってプレーを始めた事実とも符合する。ガウアー以後,テニスの表記はいろいろに変化しているが,今日のtennisに落ち着くのは1602年,シェークスピアが《ハムレット》のなかで用いてからであろうといわれている。ちょうどそのころ,テニスは第2の隆盛期を迎え,王侯,貴族から有産市民階級の間にまで広まりつつあった。16世紀初頭から17世紀末にいたる第2隆盛期のテニスの特色は,精巧なラケットの発明・改良とポーム専用の室内コート(球戯館)が都市のあちこちに建設され,テニス人口が爆発的に増大した点にある。なかでも,ガット(羊の腸)を張った長い柄のラケットの登場(16世紀以降)は,ラケット面が受ける空気抵抗をゼロに近づけ,ボールの反発力を増大させ,腕やひじへの衝撃をやわらげるなどの利点を生み,テニスプレーの発展のうえで革命的な役割を果たした。17世紀のフランスではもはや国民的娯楽とまで呼ばれ,最盛期のパリには〈1800ものコートがあり,毎日数千人の人々がラケットを持って,ここで過ごしている〉と報告されている。ただ,ポームには,室内の壁面を利用する〈クルトポームcourte paume〉と屋外で行われる〈ロングポームlongue paume〉の2種類があり,コートやプレーヤーの数のうえではロングポームの方が圧倒的に多かった。このロングポームの蓄積があって初めて1870年代の〈ローンテニス〉の誕生が可能となったわけである。一方,クルトポームの流れをくむテニスは〈リアルテニスreal tennis〉(イギリス)または〈ローヤルテニスroyal tennis〉(オーストラリア),〈コートテニスcourt tennis〉(アメリカ)と呼び,ローンテニスと区別することになった。今日でもリアルテニスは存続しており,世界選手権大会も開かれている。

1873年イギリスのW.ウィングフィールドが,当時流行していたスカッシュファイブズラケットなどの打球戯を参考にしながら,リアルテニスのルールをロングポームにアレンジし,ローンテニス(またはスファイリスティケSphairistiké)として提案したのが契機となり,75年には,リアルテニスとラケットの両競技を統括する〈メリルボン・クリケット・クラブ〉がローンテニスのルール制定委員会を設け,調整ルールを明らかにしたが,実際には何の拘束力ももたなかった。現代のルールの原型を定めたのは,1877年第1回ウィンブルドン・テニス大会用のルールを定めたJ.マーシャル,C.G.ヒースコート(弟),H.ジョーンズの3人である。なかでもマーシャルは,テニス史の研究者としても知られ,翌78年に《テニス年代記》を出版し,このなかで独自のリアルテニスのルールを公にした。現代のリアルテニスのルールもまたこのマーシャルのルールに基づいている。

 近代テニスの隆盛を決定づけた要素の一つに〈ボール革命〉があった。中空のゴムボールの試作は1850年ころから熱心に行われていたが,破れやすく実用に耐えるものではなかった。74年J.M.ヒースコート(兄)がゴムボールにフランネルの布をかぶせて補強することに成功し,今日の硬式用テニスボールの第1歩が始まった。それまで使われていた中芯のあるボールは,重くて芝の上ではほとんど弾まなかった。それに比べ中空のゴムボールは軽く,芝の上でもよく弾み,プレーの楽しさを一段と拡大した。このゴムボールは大量生産されるようになり,テニスの大衆化に大きな役割を果たした。こうして,テニスはそれまでの男性中心のスポーツに対し,女性のスポーツ参加への道を開き,以後,ウィンブルドン大会に代表される〈競技テニス〉と,イギリス上流市民の〈社交テニス〉とを両輪として急速に普及していった。

ウィンブルドン大会が採用したトーナメント・システムによるチャンピオン決定法とその試合を見せるショー・システムは,ローンテニスの人気急上昇の大きな要因となった。近代テニスのルールはウィンブルドン・ルールによって統一されていき,ルールが整備されるとともに,ローンテニスの競技化や組織化も急速に進められた。国際庭球連盟International Lawn Tennis Federation(略称,ILTF)は1911年に結成され,現在は国際テニス連盟International Tennis Federation(略称,ITF)と名称を変更した。1881年には全米選手権が始まり,1900年デビス・カップ戦(国別対抗戦),05年全豪選手権,25年全仏選手権と続く。現在はウィンブルドンと全米,全仏,全豪の三大オープンを合わせて四大トーナメントと呼ばれ,そのシングルスを同一年度に全部制することを,グランドスラム(四冠王)という。オリンピックにも第1回アテネ大会(1896)以来,正式種目として採用された。また,弾丸サービスやサービス・アンド・ラッシュのような新戦術も次々と開発され,ギャラリーを存分に楽しませると同時に名選手も輩出した。男子のティルデンや女子のS.ランラン(1899-1938)のようなスタープレーヤーが登場するに及び,金銭の授受をめぐるアマ・プロ問題が早くももち上がってきた。この問題に十分な対応ができなかったために,ローンテニスは1924年の第8回オリンピック・パリ大会を最後にオリンピック種目から姿を消したが,88年のソウル大会においてテニスは64年ぶりにオリンピック正式種目として復活した。

いわゆるテニス型のゲームは,横浜や神戸の外国人居留地を窓口にして早くから日本にも紹介されていた。しかし,ウィンブルドン・ルールに基づく近代テニスは,1878年横浜山手公園のコートで,〈レディーズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ〉という外国人居留地の夫人たちによって初めて組織的に行われた。同年,体操伝習所の教師として招聘(しようへい)されたアメリカ人G.A.リーランドも海外のスポーツ紹介の一環としてテニスを教えたといわれる(異説あり)。リーランドの通訳坪井玄道は,みずからも熱心にテニスを試み,《戸外遊戯法》(1885)を著して日本に初めてローンテニスを紹介した。しかし,当時は硬式用のボールが入手難であったために,ゴムボールを代用した軟式テニスが日本全国に普及することとなった。1898年東京高等師範学校と東京高等商業学校の対校試合が始まり,さらに早稲田と慶応が加わるなど,軟式テニスの全盛期を迎えた。1913年慶応が硬式テニスを採用すると他校もこれに続き,国際舞台での活躍が始まった。その先鞭をつけたのは熊谷一弥で,19年に全米ランキング第3位となった。翌20年には清水善造がウィンブルドン大会のオールカマーズ(チャンピオンへの挑戦者決定戦)の決勝に進出し注目を集めた。同年開かれた第7回オリンピック・アントワープ大会に熊谷,柏尾誠一郎の2選手が出場し,シングルス(熊谷)とダブルスの2種目に2位となり,日本のオリンピック史上初の銀メダルを獲得した。翌21年にはデビス・カップ戦初参加で決勝に進出し,清水はアメリカのティルデンから2セットを奪う健闘を示した。これらの活躍は,軟式テニスで鍛えられた日本選手のトップスピンが世界に通用するレベルにあったことを証明している。なお,日本庭球協会の創立は1922年のことである。

テニスプレーヤーのプロ化現象は一段と進み,いわゆるアマ・プロ問題をめぐるトラブルは後を絶たなかった。またアマチュア大会の優勝者は次々にプロに転向し,観衆の目はプロ選手の試合に移っていった。こうした問題を克服するための方途が模索され,アマとプロの区別をなくす〈オープン化〉の問題が1960年国際庭球連盟の総会で検討されたが,僅差で否決された。しかし,68年イギリスは単独で〈オープン化〉に踏み切り,国際テニス連盟が黙認したこともあって各国がこれに続いた。こうして,新しく誕生した多くのトーナメントにもスポンサーがつき,優勝選手には巨額な賞金が支払われることになった。72年にはプロテニス協会Association of Tennis Professionals(略称,ATP)が組織され,すべてのテニスプレーヤーの利益を守り,プロトーナメントの運営や規律にプレーヤーが参画することをめざした。今日行われている大きなトーナメントの大半はATPの組織下にあり,グランプリサーキットのなかに組み込まれている。最近では,単独のスペシャルイベントやエキジビションマッチが盛んに行われるようになってきている。73年には女子国際テニス協会Women’s International Tennis Association(略称,WITA。90年WTAと変更)が組織され,女子プロテニスのツアーが始まった。
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競技は,1対1で行うシングルス,2人が1組となって他の1組と行うダブルス,男女が1組となって他の男女の1組と行うミックス・ダブルスの三つがある。

まずトス(ラケットまたはコインを用い表裏を当てて決める)に勝った者が,サービスもしくはいずれかの側のコートを選ぶ。シングルスの場合,第1ゲームのサービスを行う者は,自己のコートの右側のベースラインの後ろで,センターマークとサイドラインの間に立って相手のコートの対角線上にあるサービスコートに向かってサービスする。サービスは2球打つことができる。サービスした球がネットに触れた後相手のサービスコートに入ったときは,レットletといってやり直しとなる。サービスを受ける相手は,サービスに限りいったんバウンドさせてから打たねばならない。次のポイントは左側から同様に行いこれを繰り返す。終了したゲームの総数が奇数となったときはコートのサイドを交替する。次のセットに移った場合は新しいセットのゲームの総数が奇数となったときに交替する。ダブルスの場合はパートナーは交互にサービスを行う。ただし新しいセットの開始時には順序を変えることができる。相互に打ち合っている間にコートの所定ラインの外にボールを打ち出したとき,ネットにかけたとき,さらに相手の打った球が2回バウンドするまでに返球できなかったとき,またサービスを2回続けて失敗したときは相手の得点となる。

 ポイントの数え方はテニス独特のもので,0をラブloveといい,最初のポイントを15(フィフティーン),次のポイントを30(サーティ),第3のポイントを40(フォーティ)という。またポイントをコールするときはサーバーを先にする。3ポイント対となったときはデュースdeuceといい,次のポイントを取った者にアドバンテージadvantageが与えられる。テニスのスコアはポイント,ゲーム,セットの3段階で構成され,4ポイントを先取(3ポイント対となったときは以後2ポイント連取)して1ゲームを得たものとし,6ゲームを先取(5ゲーム対となったときは以後2ゲーム連取)して1セットを得たものとする。3セット試合の場合は2セット先取したものが,5セット試合の場合は3セット先取したものが勝者となる。

試合が極度に長引くのを防ぐために考えられた方式で,5ゲームオールあるいは6ゲームオールとなった際,次のゲームを7ポイント先取(6ポイント対となったときは以後2ポイント連取),あるいは5ポイント先取した方がそのセットを取る方式である。〈ノーアドバンテージ〉も試合進行を早めるためのもので,デュースとなったとき次の1ポイントでゲームの勝敗を決めるものである。

紳士淑女のスポーツといわれたテニスも近年に至ってコートマナーが乱れる傾向にあり,競技規則とは別にこの二つの規定が生まれた。倫理規定は基本的には精神規定で,その基本は〈疑わしい判定はつねに相手に有利に決定する〉というもので,これを実際にコート上で起きる種々のケースに当てはめ,そのときプレーヤーのとるべき態度を規定したもの。ポイント・ペナルティ規定の前提ともいえるものである。ポイント・ペナルティ規定は,倫理規定に違反したプレーヤーに課す罰則を定めたもので,アマチュアプレーヤーに対しては第1回目は警告,次は1ポイント,次は1ゲーム,第4回目は失格のペナルティが課せられ,プロに対してはすべて罰金のペナルティで,最も重いものは一定期間の出場停止処分である。

ラケット

ラケットracketの語源は,手のひらを意味するアラビア語のrāhatからきたといわれる。19世紀末ころより木製のほぼ楕円形の枠(フレーム)に取っ手(ハンドル)を付け,枠の内側に球をよくはじく素材でつくったガットを縦・横に張ったものが使われるようになった。現在ではその形状,大きさ,デザインは多様になったが,規則に定められたサイズの最大限はフレームとハンドルをあわせて全長で73.66cm,全幅で31.75cmである。ストリング面は全長で39.37cm,全幅で29.21cmを超えてはならない。

 木製のみ使われていた時代には規則はなかったが,木材の比重と強度からある程度以上大きいラケットを使用することは無理であったのに比べて,大きなラケットの製造が可能になった。これはフレームやハンドルの素材として開発された軽量,強靭,高弾性などの特性を有するアルミ,チタン,炭素繊維などが用いられた結果である。このような用具の改善は,テニス技術の多様化,スピード化に大きな役割を果たすとともに,高齢者などにも安全にプレーを楽しむことが可能となった。

テニスの発祥時に,羊の腸gutをひも状により合わせ乾燥したものが使用されたところから,ラケットに使用される紐をガットと称するようになった。近年はナイロンが素材として用いられ,耐久性の増大(実質数十倍),価格の低廉化が実現して,テニスが普及する一因となった。

発祥時は布または毛糸を固く丸めたものが使われた。その後ゴム球の外側にひょうたん形の2枚のフェルトを張り合わせて現在のボールが完成した。さらに合成ゴムとナイロンと羊毛の混紡フェルトが用いられ,その耐久力が倍加している。現在の国際標準規格は直径6.35cm以上6.668cm以下,重量56.7g以上58.5g以下,254cmの高さからコンクリート上に落としたときのバウンドの高さが134.62cm以上147.32cm以下でなければならない。色は白または黄色と規定されている。

コートの規格,および名称は図のとおり。発祥時には芝生の庭園で紳士淑女が優雅に楽しんだもので,その伝統の下に近年まで芝生を正式なコートとした。しかし,降雨時に使用不能な点,表面が完全な平面でないために技術が高度に発達した現在のプレーに不適であるなどの要因から,近年は全天候型の人工コートが急速に発達し,各種の合成素材を使用したコートが開発されている。一方,とくに足首,手首などへの衝撃,ボールのバウンドの早さの調整,表面反射光の除去など改善の余地も多い。このほかクレーコートclay court,フランスで開発された水はけの良いアンツーカコートen-tout-cas courtも世界各地で広く使われている。
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百科事典マイペディア 「テニス」の意味・わかりやすい解説

テニス

庭球。正式にはローンテニスlawn tennis。中央にネットを張ったコートの両側に競技者が相対し,ラケットでボールを打ち合う球技。使用球により硬式テニス(ゴム球にフェルトをかぶせた球を使用)と日本独自のソフトテニス(軟式)があり,国際的には前者をさす。現在のテニスは1874年英国のW.ウィングフィールドが考案。日本には1878年に伝来。国際試合に全英(ウィンブルドン・テニス大会),全米,全仏,全豪の四大大会,デビス・カップ戦などがある。テニスにおいては早くからアマ・プロ問題がもちあがり,1924年以来オリンピック種目からも除外された。1968年以降アマとプロの区別をなくす〈オープン化〉が進み,現在は主要な大会はすべてオープンである。オリンピックでも1988年ソウルオリンピックから正式種目として復活,プロ選手の参加も認められるが,大会期間中のプロ活動は禁止されている。全英,全米,全仏,全豪の4大大会を1年間ですべて優勝することを年間グランドスラムといい,さらにオリンピック開催年の1年に4大会すべてとオリンピックで金メダルを獲得するとゴールデンスラムという。ゴールデンスラムの達成者は1988年のソウルオリンピック女子テニスシングルスで金メダリストとなったシュティフィ・グラフ(旧西ドイツ,当時19歳)だけである。競技はシングルス,ダブルス,ミックスダブルス(男女混合)の3種。男子は5セット行い3セット先取,女子とミックスダブルスは3セット行い,2セット先取をもって勝ちとする。ただし各セットは6ゲーム先取した側のものとなり(5対5の場合はデュースdeuceとし,2ゲーム差がつくまで行う。あるいは促進ルールとしてタイブレーク方式をとり,6対6後の第13ゲームは7ポイント先取,6ポイント・オールの時は2ポイント連取を勝ちとする),各ゲームは4ポイント先取した側がとる(3対3の場合はデュースとして2ポイント差がつくまで行う)。
→関連項目アントワープオリンピック(1920年)グラフペロタ

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デジタル大辞泉プラス 「テニス」の解説

テニス〔筆記具〕

イタリア、スティピュラ社の万年筆の商品名。「アカデミア」シリーズ。テニスをしている人がモチーフ。

テニス〔ゲーム〕

任天堂が発売するゲームソフト。スポーツゲーム。1984年1月発売。ファミリーコンピュータ用。

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世界大百科事典(旧版)内のテニスの言及

【ドロー】より

…こんにちでは,ドローン・ゲームdrawn game,すなわち〈引分け〉〈無勝負〉の試合の意味で用いられており,略称して〈ドロー〉と呼んでいる。このほかには,テニスの組合せを決めるくじ引き,ゴルフの打法(まっすぐに飛んだボールがわずかに左に切れる球すじ)にも用いられている。 ドローということばには,じつは,きわめて興味深い歴史が秘められている。…

【ネット】より

…一つは,スポーツ用具としてのネット,もう一つは,ルール用語としてのネットである。スポーツ用具としては,テニスやバレーボールのようなネット型球技で相手陣営との境界線を明確にするためのもの,野球やゴルフのように打球の行方を制限するためのもの,の2種がある。ルール用語としては,ネット型球技でボールがネットに遮られたり触れたときのコール,ゴルフのハンディキャップ付きゲームで総合スコアからハンディ分を差し引いたスコアの2種がある。…

※「テニス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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