テュレンヌ(英語表記)Turenne, Henri de la Tour d'Auvergne, Vicomte de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テュレンヌ」の意味・わかりやすい解説

テュレンヌ
Turenne, Henri de la Tour d'Auvergne, Vicomte de

[生]1611.9.11. スダン
[没]1675.7.27. ザスバハ
フランス軍人。大コンデ (ルイ2世) と並び称されるルイ 13,14世時代の勇将。 1643年元帥。三十年戦争でドイツ方面フランス軍を指揮して転戦,ノルトリンゲンの戦い (1645) ,ツースマルスハウゼンの戦い (47) に勝利を収め,ウェストファリアの講和への道を開いた。フロンドの乱では,初め反乱側に加わったが,のち宮廷側に寝返って大コンデと城外区サンタントアーヌで戦った (52) 。その後,オランダ戦争出陣,全フランス軍の指揮をゆだねられ,優勢なドイツ皇帝軍を撃破した。ライン渡河作戦中,大砲直撃を受けて戦死プロテスタントであったが晩年カトリックに改宗。著作に『回想録』 Mémoires (59~61執筆,1735初版) がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「テュレンヌ」の解説

テュレンヌ
Henri de la Tour d'Auvergne, Vicomte de Turenne

1611〜75
フランスの軍人
リシュリューに見出され,三十年戦争で活躍,ついでマザラン知遇を得た。ルイ14世の親政下で陸軍強化をはかり,終始,フランスの侵略戦争の指導権を握り,陸軍大臣にもなった。1675年,ライン川下流で戦死。

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