フランスの女流小説家、映画監督。4月4日、インドシナ(ベトナム)に生まれる。18歳のときパリに出て、ソルボンヌ大学(パリ大学)で学んだ。初期の『静かな生活』(1944)、『太平洋の防波堤』(1950)は、アメリカ小説、ことにヘミングウェイの影響を受けたネオリアリズム的作風を示しているが、『辻(つじ)公園』(1955)、『モデラート・カンタービレ』(1958)ごろからストーリー性を脱却した独自の対話スタイルを樹立し、発話の底に横たわる無意識的なるものの活力を浮かび上がらせようとする探究精神から、しばしばヌーボー・ロマンの作家たちと比較されるようになった。それ以後も『ロル・V・シュタインの歓喜』(1964)、『副領事』(1965)、『インディア・ソング』(1973)と狂気をテーマにした連作を発表し、『愛人』(1984)でゴンクール賞を獲得した。
また『セーヌ・エ・オワーズの陸橋』(1959)以後10編を超える戯曲を発表し、女優のマドレーヌ・ルノーとのコンビは『サバナ・ベイ』(1983)まで続いている。シナリオ作家としては『ヒロシマ、私の恋人』(邦訳名『24時間の情事』1960)、『かくも長き不在』(1961)を発表したが、自作の戯曲『ラ・ミュジカ』(1965)の映画化に際して自ら監督業に乗り出し、『破壊しに、と彼女は言う』(1969)、『ナタリー・グランジェ』(1972)を手がけ、音声と映像をそれぞれ独立した二系列として扱った。その新しい組合せによって無意志的記憶の浮上を追う実験は、『インディア・ソング』(1975)でみごとな成果をあげた。その後も『トラック』(1977)など前衛的作品を撮り続けた。
[田中倫郎]
ラ・ミュジカ(冬の旅・別れの詩) La musica(1965)
破壊しに、と彼女は言う Détruire dit-elle(1969)
ナタリー・グランジェ Nathalie Granger(1972)
インディア・ソング India Song(1975)
ヴェネツィア時代の彼女の名前 Son nom de Venise dans Calcutta désert(1976)
トラック Le camion(1977)
マルグリット・デュラスのアガタ Agatha et les lectures illimitées(1981)
『田中倫郎訳『インディア・ソング/女の館』(1976・白水社)』▽『三輪秀彦訳『アンデスマ氏の午後/辻公園』(1979・白水社)』▽『平岡篤頼訳『木立ちの中の日々』(1979・白水社)』▽『田中倫郎訳『モデラート・カンタービレ』(河出文庫)』▽『三輪秀彦・安堂信也訳『デュラス戯曲全集』全2巻(1969・竹内書店新社)』▽『清水徹訳『愛人』(1985・河出書房新社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランスの女流作家,映画作家。インドシナのサイゴン(現,ホー・チ・ミン市)に生まれ,少女期まで同地ですごす。17歳でパリに移り法律と数学を学んだが,やがて文学に専念。《太平洋の防波堤》(1950)によって文名を確立。自伝的色彩の濃い作品で,《ジブラルタルの水夫》(1952)とともにアメリカ小説の影響を残していたが,《タルクイニアの小馬》(1953)以降,しだいに独自の世界を築く。《モデラート・カンタービレ》(1958)や《イギリスの恋人》(1968)の犯罪と狂気,《夏の夜の十時半》(1960)の絶対的な愛など,さまざまな手段で孤独を逃れ,生に意味を与えたいと思いながらついに孤独に帰らざるをえない人間の姿を描き続けた。1959年アラン・レネの《ヒロシマ,わが愛》(邦題《二十四時間の情事》)のシナリオを書いて以来,創造手段としての映画に取り組み,《破壊しに,と彼女は言う》(1969),《ガンジスの女》(1973),《インディア・ソング》(1974),《トラック》(1977)など,多くの自作を映画化している。
執筆者:岩崎 力
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