精選版 日本国語大辞典 「トルコ革命」の意味・読み・例文・類語
トルコ‐かくめい【トルコ革命】
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ケマル・アタチュルク(ムスタファ・ケマル)の指導の下に、オスマン帝国を倒し、トルコ共和国を樹立した革命。第一次世界大戦でのオスマン帝国敗戦に乗じ、西アナトリアに侵入したギリシア軍を撃退するために、アタチュルクは1919年東部諸州会議をエルズルムに招集、アナトリア・ルメリ権利擁護協会を結成した。20年、オスマン政府が連合国に屈し、セーブル条約に調印すると、アタチュルクはアンカラに大国民議会を開き新政府を樹立し、ギリシア軍に対し軍事行動を起こした。21年、サカリヤの戦いで勝利し、ギリシア軍をアナトリアから追い出した。22年、スルタン制を廃止し、唯一のオスマン政府としてアンカラ政府は翌年連合国と対等の条件でローザンヌ条約を結んだ。小アジアの全領土の保全、カピトゥレーション(治外法権)の撤廃が認められた。23年10月トルコ共和国の成立が宣言され、オスマン帝国は消滅した。アタチュルクは初代大統領に就任、アナトリア・ルメリ権利擁護協会はトルコ人民党となった。24年カリフ制を廃し、4月に共和国憲法を制定した。その後、多くの改革が行われた。トルコ帽およびベールの廃止、神秘主義教団の解散、文字改革、憲法からイスラム教の国教規定を削除、姓氏法の制定などであった。また産業の育成など経済面での改革なども推進され、国立中央銀行を新設し紙幣発行権を確保した。トルコ革命により、近代国家の基礎が確立され、国際的地位も向上した。
[設楽國廣]
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1922~23年のスルタン制から共和制に移行した革命をいう。ケマル・パシャの祖国解放戦争の勝利は,22年10月11日ムダニア休戦協定をもたらし,新講和会議がローザンヌで開催される段取りとなり,10月27日,招請状がスルタン政府と大国民議会政府に届いた。この変則的な二元政治を改め国民主権を確立するには,スルタン制の廃止を必要とした。11月1日大国民議会はケマルのイニシアティヴでこれの廃止を決議,17日にメフメト6世は国外に亡命した。ケマルは初代大統領に選ばれ,24年カリフ制度を廃して主権在民,一院制,女性参政権を認めた共和国憲法を発布し,イスラームと政治との分離,ローマ字化,ヨーロッパ法の採用など一連の近代化政策を推し進めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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