ドイツ農民戦争(読み)ドイツのうみんせんそう(英語表記)Bauernkrieg

精選版 日本国語大辞典 「ドイツ農民戦争」の意味・読み・例文・類語

ドイツ‐のうみんせんそう ‥ノウミンセンサウ【ドイツ農民戦争】

宗教改革期に南西ドイツ中心に起こった農民の大一揆ルターの宗教改革運動に刺激され、一五二四年シュワルツワルト、チューリンゲンその他で相ついで蜂起トマス=ミュンツァーの指導する貧農層が力を握ったが、翌年夏までに鎮圧された。

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デジタル大辞泉 「ドイツ農民戦争」の意味・読み・例文・類語

ドイツ‐のうみんせんそう〔‐ノウミンセンサウ〕【ドイツ農民戦争】

1524年から1525年にかけてドイツで起きた大規模な農民の反乱荘園制解体による危機を、領主封建地代強化で打開しようとしたことに始まった。宗教改革運動に呼応していたが、ルターは農民の急進化をみて領主側支持に転じ、戦争は農民の敗北に終わった。

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百科事典マイペディア 「ドイツ農民戦争」の意味・わかりやすい解説

ドイツ農民戦争【ドイツのうみんせんそう】

大農民戦争とも。西南ドイツに始まり,1524年―1525年にわたりバイエルンを除くドイツ全土に及んだ農民一揆(いっき)。領邦国家による賦役農奴制の復活,増税や村落共有地利用の制限に反対して起こった。宗教改革思想の浸透とともに,聖書に基づいた社会をめざす〈神の正義〉を掲げて一揆は拡大し,シュワーベンでは《十二ヵ条》の要求がまとめられた。しかし,諸侯傭兵(ようへい)軍により鎮圧された。ルターは農民の要求に同情したが,チューリンゲンの農民団の指導者にミュンツァーがいると知って一揆を批判した。
→関連項目グリューネワルト十分の一税チューリンゲン農民一揆リーメンシュナイダー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ農民戦争」の意味・わかりやすい解説

ドイツ農民戦争
ドイツのうみんせんそう
Bauernkrieg

1524~25年主としてドイツ南西部に広まった大規模な農民一揆。 M.ルターの宗教改革に刺激され,従来からしばしば不満を表明してきた農民層が一挙に蜂起した事件で,その源流ボヘミアフス戦争,さらにはスイスの独立戦争にまでさかのぼる。農民側指導者としては T.ミュンツァーが最も名高く,その思想は急進的であったが,農民の要求は「シュワーベン農民の 12ヵ条」にみられるように比較的穏和なものであった。ルターは最初は農民を支持したが,農民の一部が急進化し,略奪に明け暮れるありさまをみて,一揆鎮圧を主張するにいたった。一時はドイツを震撼させたこの大一揆も,相互の結束を欠き,諸侯の軍隊によって徹底的に鎮圧され,以後ドイツ農民の地位上昇ははばまれた。総じてこの農民戦争は,領邦君主による統一的支配実現の過程で,農民の伝統的な諸権利が侵され,荘園領主による封建的権利の濫用に加えて,君主への租税負担が増大したことに最大の原因をもっていたと思われる。

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世界大百科事典 第2版 「ドイツ農民戦争」の意味・わかりやすい解説

ドイツのうみんせんそう【ドイツ農民戦争 Deutscher Bauernkrieg】

宗教改革期の1524年から25年にかけて,ドイツに起こった大農民一揆。その範囲,規模,戦闘の激しさから〈農民戦争〉と称せられる。 13世紀の古典荘園制の解体とともに,ドイツ農民は賦役義務,不自由身分などからしだいに解放され,自由な経済活動によって富裕化し,とくに南西ドイツでは,農村家内工業としての麻織物業を経営してブルジョア化する農民も現れた。これに対し封建領主階級,とくに領邦国家は15世紀に入って反動政策を強化し,それは賦役の復活,地代・租税の増徴,農奴制の復活,村落共有地用益権の制限,村落自治の制限などとなって現れた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドイツ農民戦争」の解説

ドイツ農民戦争(ドイツのうみんせんそう)
Deutscher Bauernkrieg

大農民戦争ともいう。1524年から25年にかけて南部・中部ドイツに起こった大規模な農民反乱。その先駆は15世紀末から16世紀初頭にわたりスイスや西南ドイツに散発した農民一揆(ブントシュー〈Buntschuh〉,哀れなコンラートなど)にみられるが,24年5月ボーデンゼー(Bodensee)付近に起こった十分の一税反対,農奴的負担拒否の動きは,ルターの福音主義と結合しつつ各地に広がった。翌年3月には指導的富農の手になる12カ条の要求をスローガンとしつつ一時は領主層を圧迫したが,シュヴァーベン同盟を中核とする諸侯軍により,急速に鎮圧され,以後再び立ち上がる力を失った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドイツ農民戦争」の解説

ドイツ農民戦争
ドイツのうみんせんそう
Deutscher Bauernkrieg

1524年から25年にかけて南西ドイツを中心に起きた農民一揆
貨幣経済の進展に伴い,農民の地位が向上し,領主の経済的危機が生まれた。これを打開するため,領主は農民負担の増大をはかった。ここにシュヴァーベン地方の農民は富農層の指導の下に,農奴制廃止など12か条の要求をかかげて蜂起した。反乱はやがてライン沿岸地方に拡大し,チューリンゲン地方のミュールハウゼン市ではミュンツァーに率いられた貧農の一揆に発展したが,領主の弾圧に惨敗した。これにより領邦君主による支配体制がさらに強化され,以後のドイツ社会の発展をおくらせることとなった。

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世界大百科事典内のドイツ農民戦争の言及

【チューリンゲン】より

…ウェッティン家は,ザクセン選帝侯位を得たが,1485年アルベルト家系とエルンスト家系に分かれ,チューリンゲンの大部分は後者の領有に移った。 16世紀に入って,チューリンゲンはドイツ農民戦争の中心の一つとなった。ミュンツァーが,1525年4月,ミュールハウゼン市を中心として農民を組織し,同市の市民・農民合同団をはじめ,フルダ修道院領,ランゲンザルツァ,エルフルトなどに農民団が結成され,多くの修道院,城砦が焼き払われた。…

【農民反乱】より

…第1には,領主制と直接に対峙するものであり,ヒルトンはこれを〈地代をめぐる闘争〉と呼んだが,地代徴収を軸とする領主権に対し,年貢の減免,バナリテ(領主の製粉所やパン焼がまの使用強制権)の制限などを要求する反領主一揆である。このタイプは,中世の農民蜂起の基本型をなすものだが,ドイツ農民戦争(1524‐25)の12ヵ条の要求や革命前夜フランス全土に広まった〈大恐怖〉の蜂起(1789)においても,領主制批判が前面に押し出されている。 第2には,個別領主に対する要求の域を越え,国家の租税や軍隊の徴発などに反対する一揆であり,農民反乱の名で呼ばれるような大規模な蜂起には,この型のものが多い。…

※「ドイツ農民戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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