オーストリアの物理学者。ザルツブルクに石工の息子として生まれたが,病弱であったため石工になることをあきらめ,1822年から4年間ウィーンの工芸学校に通った。35年にはアメリカ移住を決意してミュンヘンまでいったが,結局プラハの州立中等学校の数学と会計学の教授職につき,その後41年には,プラハの国立工業大学に移り,基礎数学と実用幾何学の教授となった。42年に,《二重星と若干の他の天体の色光について》と題する論文を発表し,その中で観測される波の振動数が,波の伝搬する媒体に対する波源の運動や観測者の運動に関係すること,すなわちドップラー効果の存在を明らかにし,さらに46年の論文では,波源と観測者双方が同時に運動する場合へ拡張した。音に関するドップラー効果の検証は,1845年にオランダのバイス・バロットChristoph Hendrik Diederik Buys-Ballot(1817-90)がユトレヒトで,トランペッターをのせた機関車を使用して行った。一方,光に関しては,その本格的な検証は適当な分光器が開発される時期まで待たねばならなかった。50年にウィーンに戻ったドップラーは,ウィーン大学実験物理学教授となったが,52年肺を病んでベネチアに転地,翌年その地で死んだ。
執筆者:日野川 静枝
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