百科事典マイペディア 「ドボルジャーク」の意味・わかりやすい解説
ドボルジャーク
→関連項目イングリッシュ・ホルン|キリスト教音楽|交響詩|スタバト・マーテル|スメタナ弦楽四重奏団|チェロ|レクイエム
ドボルジャーク
→関連項目ザクスル|ゼードルマイヤー|フライ|マニエリスム
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…また,ドイツ風の教育を受けながら国際的名声を博した作曲家にE.A.マクダウェルがいる。教育界ではオバーリン音楽院が65年に創立,85年にはナショナル音楽院が創立され,ドボルジャークが招聘された。ドボルジャークの渡米は,インディアンやニグロの民族音楽に対する関心を喚起し,民族主義的な作曲の流れが1920年ころまでつづいた。…
…19世紀後半のポーランドや西ウクライナの民謡収集家(コルベルクOskar Kolberg(1814‐90)など)が農民の不幸な運命を歌った抒情的民謡を一般にドゥムカと呼ぶようになった。器楽曲ではF.リストのピアノ曲《ボロニンツェの落穂拾い》(1848)が早い例であり,ドボルジャークはピアノ曲《ドゥムカ》作品35(1876)と12(1884?)や《ピアノ三重奏曲ホ短調》(1891)などに広く用いている。その流れを汲んで,チェコではヤナーチェク,スーク,ノバークVitězslav Novák(1870‐1949)らもこの曲名を用いている。…
…A.リーグルは,《様式の問題》(1893)や《晩期ローマ工芸美術論》(1901)において対象を西欧以外の工芸の分野にまで一挙に拡大するとともに,文様の発展の法則を探り,H.ウェルフリン(《美術史の基礎概念》1915)やH.フォシヨン(《形体の生命》1934)は,様式分析とその展開の跡づけのためのきわめて有効な方法論を提出した。他方,É.マールの図像学的研究,M.ドボルジャークの精神史的研究,A.ワールブルク,E.パノフスキーのイコノロジー研究(図像学)は,作品の思想的,寓意的,象徴的意味を解読することにより,時代の精神的風土とのつながりを明らかにしようと試みた。このような多面的傾向は,第2次大戦後もさらに強まり,心理学,社会学,文化人類学など,隣接諸科学の方法と成果を取り入れた美術史研究が盛んに続けられている。…
※「ドボルジャーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
地震や風雨などによる著しい災害のうち、被災地域や被災者に助成や財政援助を特に必要とするもの。激甚災害法(1962年成立)に基づいて政令で指定される。全国規模で災害そのものを指定する「激甚災害指定基準に...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新