日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドランツ」の意味・わかりやすい解説 ドランツどらんつStane Dolanc(1925―1999) 旧ユーゴスラビアの政治家。スロベニア出身。リュブリャナ大学法学部卒業。パルチザン戦争に参加し、チトーの側近となった。1944年に共産党に入ったが、戦後も1960年まで人民軍に勤務した。1969年に党幹部会員に就任、1971年に民族主義気運が表面化したあと、チトーの片腕となって政治的引き締めを推進した。1972年に幹部会書記となり、チトーの後継者とみなされたが、1979年に辞任した。[木戸 蓊][参照項目] | チトー 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドランツ」の意味・わかりやすい解説 ドランツDolanc, Stane [生]1925.11.16. スロベニア,フラストニク[没]1999.12.13ユーゴスラビアの政治家。リュブリャナ大学法学部卒業。第2次世界大戦でパルチザンに参加,1944年共産党に入り,スロベニア党組織と人民軍政治組織に勤務。 1969年共産主義者同盟幹部会執行局員に就任。 1971年暮れのクロアチアなどの民族主義傾向制圧に尽力し,1972年同盟執行局書記,1974年同盟幹部会員兼同筆頭書記。 1979年同書記辞任。 1982年内務大臣。 1984年連邦幹部会員。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報