日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネパール人」の意味・わかりやすい解説
ネパール人
ねぱーるじん
一般にネパール連邦民主共和国の国民をさし、次のように大別される。
(1)インド・ヨーロッパ語系のネパール語を話し、北インドにつながる文化をもつ人々
(2)チベット・ビルマ語系の諸言語を母語とする諸民族
(3)ヒンディー語の諸方言を話すインド系住民
(4)その他
(1)の人々はネパールの全人口約2820万人(2007推計)の半分強を占め、政治、軍事の中心をなすヒンドゥー教徒で通常約2000メートル以下の山地に住む。カースト社会を形成し、上位にバウン(ヒンドゥー教司祭のカースト)、チェットリ(軍人カースト)、下位にカミ(鍛冶(かじ)屋)、サルキ(皮職人)、ダマイ(仕立屋)などが存在するが、中間の諸カーストが欠落している。カースト内では父系親族の結合が重要である。おもな生業はイネ、コムギなどの農業やカースト固有の仕事であるが、官吏、商人なども存在する。
(2)にはマガル、グルン、タマン、ネワール、ライ、リンブー、タカリー、シェルパなど数十の民族が含まれ、各民族の人口は130万人前後から1000人以下にわたり、合計して全国人口の4分の1強を占める。この人口の多くは1800メートル以上の山地を故地とし、雑穀中心の農業、牧畜、交易に携わってきた。宗教は土着信仰のうえにチベット仏教やヒンドゥー教の影響が及んだものである。民族内では父系的まとまりが重要であるが、スッバなどとよばれる地方首長の下に統合されていた例もある。ネワールは例外で、18世紀までカトマンズ盆地に王国を築き、カースト制下に仏教徒、ヒンドゥー教徒の双方を組み込んできた。
(3)は全国人口の約4分の1を占め、多くはここ200ないし300年内にインドから南ネパールに移住してきたさまざまなカーストに属するヒンドゥー教徒で、おもに稲作中心の農業に依存している。
なお、カーストによる差別は、1962年、1990年の憲法で否定されている。また、1990年の民主化以後、諸グループ間の平等を主張する運動も目だつようになっている。首都圏を中心に都市化も進行しており、多様な職業がみられるようになり、また多様な人々の混交も進んでいる。
[石井 溥]
『石井溥編著『(暮らしがわかるアジア読本)ネパール』(1997・河出書房新社)』