精選版 日本国語大辞典 「ハイデルベルク」の意味・読み・例文・類語
ハイデルベルク
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ドイツ南西部、バーデン・ウュルテンベルク州の都市。人口14万0300(2000)。ライン川右岸の支流ネッカー川がオーデンワルト山地からライン河谷平野に出る谷口に位置する。ハイデルベルク大学のほか、核物理学や分子生物学、天文学、医学の研究センターがあり、ドイツにおける学術・文化の中心地。ライン・ネッカー郡の行政中心地でもある。ネッカー川左岸のケーニヒシュツール山(566メートル)山麓(さんろく)にある古城、ハイデルベルク城(13世紀の城砦(じょうさい)が起源)の下に、河川沿いに延びた旧市街には、聖霊教会(15世紀)をはじめとする教会や市庁舎、ネッカー川の古橋(18世紀末)、マルクト広場など古い建造物が多数残存し、国際的観光地ともなっている。古い建物には、オーデンワルト山地に産出する赤色砂岩が多く使われ、落ち着いた色合いを与えている。ハイデルベルク城の中にはドイツ医薬博物館がある。市域の西部、ライン川の沖積低地に広がる新市街は19世紀以降発展した所で、旧市街とまったく趣(おもむき)を異にし、緑の多い住宅地、工場、道路・鉄道網が交錯し、田園風景もみられる。主要な工業は、たばこ、セメント、車両、印刷機械、万年筆、電気機器など。交通の要地にあたるので、駐独アメリカ軍の司令部や病院、ドイツ国防軍の基地など軍事施設も多い。
[朝野洋一]
1196年史料に初出する。1225年ウィッテルスバッハ家の所領に入り、以後1720年までプファルツ伯および同選帝侯の居城地であった。1386年プファルツ選帝侯ルプレヒト1世によってその地に設立されたハイデルベルク大学は、ドイツで3番目に古く、15、16世紀にはアグリコラ、ツェルティス、ロイヒリンらがその教壇に立ってドイツ人文主義の中心となり、1560年から三十年戦争(1618~48)まではカルバン主義の中心であった。三十年戦争では1622年皇帝派の将軍ティリによって、33年スウェーデン軍によって占領され、プファルツ継承戦争では1689年、93年にフランス軍のために手ひどい破壊を被った。1720年選帝侯の居城がマンハイムに移されてからはかつての重要性を失い、1803年バーデン領に編入された。プファルツ選帝侯の居城、ハイデルベルク城はドイツ・ルネサンス様式のもっとも重要な建築物の一つである。
[中村賢二郎]
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ドイツ,バーデン‐ヴュルテンベルク州にある都市。ネッカー川に臨む古都で,13世紀以来プファルツ伯の居城があった。ハイデルベルク大学は1386年の創立で,ドイツ最古のものである。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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