ハインリヒ[4世](読み)ハインリヒ

百科事典マイペディア 「ハインリヒ[4世]」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ[4世]【ハインリヒ】

ザリエル朝ドイツ国王(在位1056年―1105年),神聖ローマ皇帝(在位1084年―1105年)。ハインリヒ3世の子。初め母アグネス,次いでブレーメン司教アダルベルトが摂政となり,1065年から親政。教皇グレゴリウス7世との叙任権闘争では1077年カノッサの屈辱危機を打開し,のち教皇をローマから追放した。1103年最初の帝国平和令発布
→関連項目イタリア政策グレゴリウス[7世]ハインリヒ[5世]

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世界大百科事典 第2版 「ハインリヒ[4世]」の意味・わかりやすい解説

ハインリヒ[4世]【Heinrich IV】

1050‐1106
ザリエル朝第3代のドイツ国王(在位1056‐1105),神聖ローマ皇帝(在位1084‐1105)。1056年父王ハインリヒ3世の死後,はじめは母后アグネスAgnesが,ついでケルン大司教アンノAnno,ブレーメン大司教アダルベルトAdalbertが摂政として国政を握った。65年成年に達したのち親政を開始,王権基盤としてザクセンに国王直轄領をつくるべく努力したが,これに反発してザクセンの貴族農民反乱を起こし,74年この鎮圧に成功したが,引き続き教皇グレゴリウス7世との間の叙任権闘争に巻き込まれた。

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世界大百科事典内のハインリヒ[4世]の言及

【キリスト教】より

…これに対しオットー3世(在位996‐1002)は,〈王にして祭司〉という古ゲルマンの思想にもとづく教会統治権を行使して,司教を叙任したのみでなく教皇選挙にも加わろうとした。ハインリヒ3世(在位1039‐56)はフォティオスによる東西教会の分離(867)以後弱体化した教皇庁をみずからの手で改革せんとして,ドイツ人の教皇を立てた。そこで教皇側は教皇権至上主義を主張し,その普遍主義を各国王の分立主義に優先させる闘争を開始した。…

【グレゴリウス[7世]】より

…前名はヒルデブランドHildebrand。イタリア,トスカナの貧しい家に生まれ早くからローマに出て,サンタ・マリア修道院で教育を受け,グレゴリウス6世(在位1045‐46)に仕えたが,1046年ハインリヒ3世による教皇追放に同行してライン地方に亡命。翌年教皇の死を契機に修道士となるが,49年新任教皇レオ9世(在位1049‐54)とともにローマに帰り,以後6代の教皇のもとで大きな影響力を持つ。…

【ザリエル朝】より

…1024‐1125年。ハインリヒ3世(在位1039‐56),ハインリヒ4世(在位1056‐1106),ハインリヒ5世(在位1106‐25)と直系相続により4代継続。この王朝がザリエル朝と呼ばれだすのは12世紀初頭以降で,14世紀から一般に使われるようになった。…

【叙任権闘争】より

…これに対し,11世紀半ば以降諸教皇は教皇権の確立,規律の刷新を目指して改革にのりだした。特にグレゴリウス7世は教会の自由,教権の俗権に対する優越を主張し,聖職売買,俗人叙任を強く排撃してドイツ王ハインリヒ4世と対立した。王のミラノ大司教任命をきっかけに,1076年王と教皇との間に全面的衝突が生じ,帝権と教権の争いが開始されたのはこのためである。…

【政教分離】より

…皇帝は教会から追放されて俗人になり,キリスト者としての義務の履行については教会の判断に従うべきであると説かれたのである。教皇グレゴリウス7世が皇帝ハインリヒ4世を破門するときには,彼は国王職にふさわしくないと述べたのに対して,カノッサで贖罪する皇帝を赦すときに,破門の政治的効果の廃棄=国王職への復職を問題にしなかったのは,この分離の進行を物語っている。 〈精神的〉と〈世俗的〉の分離は,叙任権闘争当時のキリスト教的社会においては,精神的なものの優位=教会政治に帰結したが,教会の至上性の主張が政治と宗教の分離を前提とする以上,宗教と政治の関係は可逆的であったことに留意する必要がある。…

【ラント平和令】より

…それはもろもろの暴力行為を平和攪乱の〈犯罪〉なりと規定し,違反者は死刑を含む流血身体刑をもって処罰されるべきものとした。その最初の事例は1103年神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世によりマインツで公布された帝国平和令であり,その後,1235年の有名なマインツの帝国平和令にいたるまでの時期は,主として王権のイニシアティブのもと帝国全体を対象領域として公布されるものが多かった。その後,中世後期においては,個々の領邦(ラント)を妥当範囲とするラント平和令が主流となる。…

※「ハインリヒ[4世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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