改訂新版 世界大百科事典 「ハッスナ文化」の意味・わかりやすい解説
ハッスナ文化 (ハッスナぶんか)
イラク北部のハッスナHassuna遺跡において,イラクの考古総局がロイドS.LloydとサファールF.Safarの指導のもとに,1943,44年に,メソポタミア最古期と考えられた農耕村落を発掘して以来,そのⅠ~Ⅴ層を標式として設定された文化である。刃だけを磨いた石斧,石鍬,石刃鎌,石皿,穀物,牛・羊・ヤギの骨が,ピゼづくりの家,穀物の貯蔵設備,パン焼竈(かまど)などの遺構からなる村落址から,土偶,粗製および彩文・刻文土器とともに出土し,農耕・牧畜に基づく食糧生産を生業とした初期農耕村落のあり方として世界中から注目された。採集経済から生産経済への,いわゆる新石器革命が行われた地域として,まずイラク北部が選ばれ,多くの発掘調査隊が派遣されるきっかけとなり,実際にジャルモその他の重要な遺跡が次々と発見された。しかし一方,新発見に伴って対象とする地域はしだいに拡大して,現在では西アジアからエジプト,さらにギリシアにまで及んでいる。ハッスナ遺跡はモースルの南約35kmにある200m×150mのテルで,この発掘によって,自然層上のⅠ層からⅩⅤ層までが識別され,ハッスナ期-(サーマッラー期)-ハラフ期(Ⅵ~Ⅹ層)-ウバイド期(ⅩⅠ,ⅩⅡ層)というメソポタミア北部における先史時代編年が確認された。しかし他の遺跡における発掘が進むにつれて,ハッスナ文化はニネベ近辺に分布が限定されるもので,南東にはサーマッラー文化,北から北西部にかけてハラフ文化が栄えていたことがわかってきた。さらに発掘当時からⅠa,Ⅰb,Ⅰcと三分されていて,Ⅰb層から上とは違って一時的なキャンプサイトではないかと見られていたⅠa層に関連のある,そしてさらに古い遺跡が,1970年ころからヤリム・テペやウンム・ダバギヤなどで発掘されて,ハッスナ遺跡は最古の農耕村落としての資格を失った。しかしこれらの新発見の内容をもハッスナ文化の一部と認めるか,ハッスナ文化に先行する異なった文化として理解するかは,そしてまたその文化にどのような名称を与えるかは今後の課題である。ハッスナ遺跡Ⅰ~Ⅴ層は,炭素14法による年代で前6千年紀に属する。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報