ハリス

デジタル大辞泉 「ハリス」の意味・読み・例文・類語

ハリス(Townsend Harris)

[1804~1878]米国の外交官。日米和親条約の結果、1856年(安政3)初代駐日総領事として下田に赴任。下田条約日米修好通商条約締結に成功後、公使。62年(文久2)帰国。著「日本滞在記」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ハリス」の意味・読み・例文・類語

ハリス

  1. ( Townsend Harris タウンゼンド━ ) アメリカの外交官。安政三年(一八五六)初代駐日総領事として来日、下田に着任。同五年日米修好通商条約を結び、同六年全権公使となる。著「日本滞在記」。(一八〇四‐七八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ハリス」の意味・わかりやすい解説

ハリス

幕末,米国の外交官。1856年初代駐日総領事として伊豆(いず)下田に着き,玉泉(ぎょくせん)寺を総領事館とした。1857年下田条約,1858年日本最初の包括的通商条約日米修好通商条約の締結に成功し,翌年公使に昇任,江戸麻布(あざぶ)善福寺に公使館を置いた。新見正興,村垣範正ら幕府の遣米使節派遣に尽力。1862年辞任して帰国。ニューヨークで没。日記《日本滞在記》がある。→唐人お吉安政五ヵ国条約
→関連項目オールコック開国(日本史)下田[市]ヒュースケンペリー堀田正睦

ハリス

米国の作曲家。カリフォルニア大学で哲学と経済学を専攻したのち音楽を正式に学び,《弦楽のためのアンダンテ》(1925年)がコンクールに入賞。1926年―1928年パリでN.ブーランジェに師事。帰国後クーセビツキーと親交を結び,その依頼による《交響曲第3番》(1937年)で名声を確立した。以後,アメリカ各地で教職に就き,1961年―1973年母校教授。調性を基盤にした活力あふれる作風で知られ,16の交響曲(1933年―1979年)のほか,同名のアメリカ民謡を主題にした交響序曲《ジョニーが凱旋(がいせん)する時》(1934年)などがある。

ハリス

米国の作家。ジョージア州生れ。黒人の伝説をアンクル・リーマスの口を通して語る《アンクル・リーマスの歌とことば》(1880年)など,一連の児童文学で有名。ジョージアの人びとを描いた小説もある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ハリス」の意味・わかりやすい解説

ハリス
Townsend Harris
生没年:1804-78

アメリカの初代駐日総領事,公使。ニューヨーク州生れ。13歳から働き始め,正規には初等教育しか受けなかったが,独学で数ヵ国語を習得。1846年ニューヨーク市教育委員会委員長として,無料の高等教育機関(現,ニューヨーク市立大学)設置に貢献した。49年から貿易に従事し,インドシナ,清国方面に遠征。55年駐日総領事に任命され,56年8月(安政3年7月)下田に来航,玉泉寺を総領事館とした。57年6月下田条約(日米協定)を調印するものの幕府は通商交渉を渋り,ハリスは15ヵ月間,下田で孤立した生活を送ったが,57年12月将軍徳川家定に謁見。アメリカは他の列強とは異なり危険な野心をもたず,逆に列強に対し日本の盾となる友好国であると強調した。ハリスの忍耐強さと説得が功を奏し,58年7月日本最初の包括的通商条約(日米修好通商条約)が締結された。59年公使に昇格,江戸麻布善福寺に仮公使館を設置。61年公使館通訳官のH.ヒュースケンが暗殺され,諸外国公使が横浜に避難した際にも,ハリスは江戸にとどまった。62年帰国。在日中の日記《日本滞在記》が残っている。ハリスの妾となった唐人お吉は,のち多くの小説や戯曲でとり上げられた。
執筆者:


ハリス
Joel Chandler Harris
生没年:1848-1908

アメリカの小説家。ジョージア州に生まれ,1862-66年週刊新聞も発行していたプランテーション経営者のもとで働き,この間黒人奴隷の民話,習慣,方言に親しむ。その後《アトランタ・コンスティチューション》紙の編集員(1876-1900)を務め,同紙に〈アンクル・リーマスUncle Remus物〉を連載,これらは《アンクル・リーマスの歌と言葉》(1880)など数冊にまとめられた。奴隷出身の老召使アンクル・リーマスが主人の息子に聞かせるという設定で,人間のように行動するウサギやキツネなども登場する黒人民話が,黒人の方言を用いてユーモアをまじえて語られる。これらは子どものためのすぐれた物語であるとともに,黒人の民俗資料としても重要である。
執筆者:


ハリス
Roy Harris
生没年:1898-1979

アメリカの作曲家。1926-28年パリでN.ブーランジェに師事した。アメリカ最大の交響曲作曲家として知られ,没する年に《交響曲第16番》を完成した。なかでも《交響曲第3番》(1937)はアメリカ精神を抽象的に高揚した名作として知られている。《民謡交響曲》(第2番。合唱付き),《ゲティスバーグ演説交響曲》(第6番),《サンフランシスコ交響曲》(第8番),《エーブラハム・リンカン交響曲》(第10番)のような標題交響曲もある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「ハリス」の解説

ハリス

没年:1878.2.25(1878.2.25)
生年:1804.10.4
幕末のアメリカの外交官。ニューヨーク州サンディ・ヒルに帽子商の5男として生まれる。14歳でニューヨーク市の繊維商に奉公,1820年に兄が営む陶磁器輸入商に加わって小売店を担当した。その傍ら語学修得など勉学に努め,敬虔なキリスト者として日曜学校の教師を引き受けていたほか,廉潔な性格を買われて貯蓄銀行の評議員にも選ばれている。民主党員としては社会奉仕に力を尽くし,なかでも教育委員としての活動は特筆される。41年ニューヨーク市の教育委員となり,46年6月には同委員長に選出された。47年1月,授業料免除の高等教育機関フリー・アカデミー(ニューヨーク市立大学)の創設を提案,市民の賛同が得られるや建設実行委員会の委員長として尽力した。47年に母を失い,48年1月には教育委員会委員長を辞任,その後まもなくして店が倒産した。 49年5月ニューヨークを去り,船主となってサンフランシスコ,太平洋,東南アジア,インド洋を股にかけた貿易活動に従う。54年8月,寧波のアメリカ領事に任命されるが赴任せず帰国。来たるべき初代駐日総領事に任ぜられるよう運動し,55年8月に大統領命令の形で拝命(正式な任命は56年6月)。安政3(1856)年7月21日(8月21日),下田に到着した。同5年6月19日(7月29日)念願の日米修好通商条約を結び,同年末駐日公使に昇任,文久2(1862)年4月に日本を離れた。<著作>『ハリス日本滞在記』(坂田精一訳)<参考文献>中西道子『タウンゼンド・ハリス』

(内海孝)


ハリス

没年:大正10.5.8(1921)
生年:1846.7.9
明治期のアメリカ・メソジスト監督派の宣教師。南北戦争に参加,大学卒業後の明治6(1873)年12月夫人のF.L.B.ハリスと来日。翌年より函館に居住,同8年に北海道初のプロテスタント受洗者2人を得た。キリスト教式の埋葬や聖書講義の集会で検挙される事件が起こるなかで函館教会の基礎を築く。同10年札幌で,W.S.クラークの薫陶を受けた札幌農学校の学生に授洗したが,内村鑑三ら中心人物がやがて教派主義に反発,同15年札幌基督教会(札幌独立基督教会)を設立するにおよび,ハリスに始まった札幌伝道は中断した。同11年東京に転じ,美会神学校,耕教学舎(いずれも青山学院の源流)などで教えた。同19年一時帰国後,同37年日本および韓国のメソジスト監督教会の監督に選出され,翌年再来日。東京で没。函館教会にはハリス監督記念礼拝堂がある。<参考文献>『日本基督教団函館教会100年史』

(小檜山ルイ)


ハリス

没年:明治42.9.7(1909)
生年:1850.2.14
明治期のアメリカ・メソジスト監督派の婦人宣教師。アレガニー大学でM.A.取得。明治6(1873)年同学のM.C.ハリスと結婚,12月夫と来日。翌1月より函館に居住し,夫の開拓伝道を補佐。自宅に日本人子女を集め,英語,手芸,作法などを教えるとともに,バイブル・クラスを行う。メソジスト監督派婦人伝道局の機関誌『異教徒の女性の友』に日本での女子教育の必要性を説いたところ,C.R.ライト夫人が共感,同15年遺愛女学校(遺愛学院)創立の資金を献金した。同11年東京に転任,同19年健康を害し帰国。在米邦人のなかで働く。同38年夫と再来日。東京で没。賛美歌343番の作詞,『土佐日記』など日本文学の英訳,内村鑑三との親交でも知られる。<著作>新谷武四郎編訳『ハリス夫人遺稿集』,同訳『ハリス夫人詩集』<参考文献>『遺愛百年史』

(小檜山ルイ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「ハリス」の解説

ハリス
Townsend Harris

1804.10.4~78.2.25

アメリカの外交官。ニューヨークの商人出身。中国・東南アジアで貿易に従事したのち,1854年寧波(ニンポー)領事。ただしみずからは赴任しなかった。55年下田駐在の初代米国総領事に任命され,通商条約締結の全権を委任された。56年(安政3)シャム(タイ)で通商条約を締結したのち下田に来航,玉泉寺に総領事館を開いた。57年下田条約締結。同年,江戸に上り将軍徳川家定に大統領の親書を上呈。老中堀田正睦(まさよし)に通商の急務を説いて通商条約の交渉に入った。58年他国に先駆けて日米修好通商条約の調印に成功。59年初代駐日公使となり,江戸麻布善福寺に公使館を設けた。外国外交団中の最古参として幕府の信頼を得た。1862年(文久2)に帰国。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハリス」の解説

ハリス Harris, Townsend

1804-1878 アメリカの外交官。
1804年10月4日生まれ。安政3年(1856)初代駐日総領事として伊豆下田に来航,玉泉寺を総領事館とする。幕府に通商条約を強要,4年下田条約,5年日米修好通商条約を締結した。のち公使に昇格し,江戸麻布(あざぶ)善福寺を公使館とした。文久2年帰国。日記に「ハリス日本滞在記」がある。1878年2月25日死去。73歳。ニューヨーク州出身。

ハリス Harris, Merriman Colbert

1846-1921 アメリカの宣教師。
1846年7月9日生まれ。明治6年(1873)メソジスト監督教会から派遣されて来日。翌年函館に赴任し,プロテスタント教会を設立。内村鑑三,新渡戸稲造らに札幌で授洗した。一時帰国後,37年日本・朝鮮宣教監督として再来日。大正10年5月8日東京の青山学院構内のハリス館で死去。74歳。オハイオ州出身。

ハリス Harris, Flora Lydia Best

1850-1909 アメリカの宣教師。
1850年2月14日生まれ。明治6年(1873)夫のM.C.ハリスとともに来日。女子教育の必要性をうったえ,函館の遺愛女学校(現遺愛女子高)の設立につくす。また「土佐日記」などを英訳した。明治42年9月7日東京で死去。59歳。ペンシルベニア州出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ハリス」の解説

ハリス

アメリカ合衆国の作曲家。序曲の《ジョニーの凱旋》(1934)や《交響曲 第3番》(1937)が代表作である。ピアノを編成に含む作品としては、《ピアノ協奏曲》や《ピアノ5重奏曲》(1936)がある。音 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハリス」の解説

ハリス
Townsend Harris

1804~78

アメリカの外交家。ニューヨークで貿易を営むかたわら同市の教育行政に携わり公立学校の整備に貢献。その後アジアへの関心から初代駐日総領事となり,条約交渉権を持って1856年下田(しもだ)に赴任した。翌年江戸出府を実現して将軍に謁見し,幕府要職者と通商条約交渉を行い,彼らの信頼を得て他国に先駆け58年日本との修好通商条約締結に成功し,初代駐日公使となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「ハリス」の解説

ハリス
Townsend Harris

1804〜78
幕末,アメリカの外交官
1856年初代駐日総領事として下田に着任。'57年下田条約を締結,ついで '58年幕府を説得して日米修好通商条約調印に成功した。翌年公使となり,'62年辞任し,帰国。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハリスの言及

【アメリカ】より

…しかしフランス人は,その後もミシシッピ川を下ってテキサス湾岸に砦を築き,1718年にはニューオーリンズを建設した。スペインは,このルイジアナ植民地を制圧するため同じ18年にテキサスのサン・アントニオを建設したが,七年戦争の結果,63年のパリ条約においてミシシッピ以西のルイジアナの地とニューオーリンズの領有を認められた。 イギリスの北アメリカ植民は,16世紀後半におけるロアノーク植民の失敗後,しばらく間をおいて,1607年のバージニア,ジェームズタウンの建設以後本格化した。…

【児童文学】より

…バーネットF.H.Burnettの《小公子》(1886),ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》(1903)はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで,ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》(1880)に結実した。 20世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。…

【児童文学】より

…バーネットF.H.Burnettの《小公子》(1886),ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》(1903)はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで,ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》(1880)に結実した。 20世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。…

※「ハリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android