ハードボイルド(読み)はーどぼいるど(英語表記)hard boiled

精選版 日本国語大辞典 「ハードボイルド」の意味・読み・例文・類語

ハード‐ボイルド

〘名〙 (hard-boiled 元来は(卵の)固ゆでの意) 小説で、感傷を排し、主人公性格行動などを簡潔な文体で客観的に描く作風。一九三〇年代のアメリカ文学に始まった傾向。特に推理小説で、謎の論理的な解決過程を描くことを主眼とする本格派に対して、登場人物の人間的側面を描くことを主眼とする傾向をいう。
俳句世界(1954)〈山本健吉〉八「現代芸術のハード・ボイルド的な特徴とも言ふべき、〈略〉深刻さや陰惨さや冷酷さ」

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デジタル大辞泉 「ハードボイルド」の意味・読み・例文・類語

ハード‐ボイルド(hard-boiled)

[名]《卵の固ゆでの意から》
第一次大戦後に、アメリカ文学に登場した新しい写実主義手法。簡潔な文体で現実をスピーディーに描くのが特徴。ヘミングウェイらに始まる。
推理小説の一ジャンル。行動的な私立探偵を主人公に、謎解きよりも登場人物の人間的側面を描く。ハメットチャンドラーなどが代表。
[名・形動]から転じて》非情なこと。人情や感傷に動かされないで、さめていること。また、そのさま。「ハードボイルドな文体」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハードボイルド」の意味・わかりやすい解説

ハードボイルド
はーどぼいるど
hard boiled

1930年前後に、アメリカ文学に登場した写実主義の手法。ヘミングウェイやドス・パソスらの、むだな修飾を極度に省き、スピーディーな荒いタッチで事実を積み上げていくスタイルで、転じて「冷酷」や「非情」という文学用語として用いられる。推理小説では一つの流派をさし、それに関連してハードボイルド調の文体という使い方もされる。1929年、ハメットの推理小説『血の収穫』は、従来の謎(なぞ)解き中心のミステリーに革命的変革をもたらした。孤独な中年の私立探偵を主人公にしたリアルな性格描写、不可能犯罪の謎解きよりも登場人物の人間関係を重視した視点、スラングを多用したスピーディーな文体、心理分析以上に効果的な軽妙な会話を特徴とするもので、禁酒法に揺れた1920年代というアメリカ社会の暗黒面が色濃く反映されている。ハードボイルドとは本来、固ゆでの卵の意味で、それがなぜハメットらの作風に適用されたのか理由は諸説あって判然としない。この流派の正統はハメット以降、『長いお別れ』(1953)のチャンドラー、『さむけ』(1964)のロス・マクドナルドに継承された。これに対して暴力とエロチシズムを前面に押し出した『裁くのは俺だ』(1947)のミッキー・スピレーンは通俗ハードボイルドとして正統派からは区別されてきた。しかし後代に与えた影響の大きさからすれば、当然再評価されてしかるべき作家である。1970年代以降のこの流派の作家は、ネオ・ハードボイルド派とよばれることもある。この派の探偵たちのなかにはアルコール依存症や癌(がん)ノイローゼや、マリファナ常用者などがみられるが、要するに彼らが前代の探偵たちの男らしい魅力とは裏腹なアンチ・ヒーローであることに特色がある。そしてその特色がベトナム戦争後遺症の表れであると解することは容易であろう。1970年代から1980年代にかけて出現した『誘拐(ゆうかい)』(1971)のビル・プロンジーニBill Pronzini(1943― )、『大いなる賭け』(1973)のロジャー・サイモンRoger L.Simon(1943― )、『約束の地』(1981)のロバート・B・パーカーRobert Brown Parker(1932―2010)、『聖なる酒場の挽歌(ばんか)』(1986)のローレンス・ブロックLawrence Block(1938― )などが、その代表的な作家である。

[厚木 淳]

『中島河太郎編『ハードボイルド傑作選』(1976・ベストブック)』『各務三郎著『名探偵読本 ハードボイルドの探偵たち』(1979・パシフィカ)』『小鷹信光著『ハードボイルド・アメリカ』(1983・河出書房新社)』『小鷹信光著『ハードボイルドの雑学』(1986・グラフ社)』『郷原宏編著、山本楡美子訳『ギムレットには早すぎる――レイモンド・チャンドラー名言集』(1997・アリアドネ企画、三修社発売)』『郷原宏著『名探偵事典 海外編』(1997・東京書籍)』『小鷹信光著『アメリカ語を愛した男たち』(ちくま文庫)』『小野俊太郎著『「男らしさ」の神話――変貌する「ハードボイルド」』(講談社新書メチエ)』『William MarlingThe American Roman Noir(1995, University of Georgia Press)』

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百科事典マイペディア 「ハードボイルド」の意味・わかりやすい解説

ハードボイルド

主として20世紀のアメリカで感情表現を抑えたシニカルな文体を用いた文学,あるいは同様の傾向をもつ芸術一般。ハードボイルド(エッグ)とはかたゆで卵のこと。ハメットチャンドラーらの推理小説や,ヘミングウェーの作品など。
→関連項目暗黒小説大藪春彦ヒューストンボガートホークス

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知恵蔵 「ハードボイルド」の解説

ハードボイルド

1920年代アメリカにおいて、自らも探偵業に従事した経験を持つダシル・ハメットが、雑誌「ブラック・マスク」を舞台に確立したジャンル。探偵サム・スペードの活躍する『マルタの鷹』(1930年)が、このジャンルの記念碑的長編。ハードボイルド探偵小説は以後、ハメットの、徹底して贅肉を削ぎ落とした、乾いた文体を継承しつつ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー、ミッキー・スピレインのマイク・ハマーなど、数々のスペードの後継者を生んで行く。ハードボイルドのヒーローは、誰の助力も借りずに、己の名誉をかけた掟を守って、タフに生き延びていく。都市に棲息する独身者として、日常生活の細部には徹底してこだわる。現実主義者で皮肉屋でありながら、捜査対象にはしばしば感情的に巻き込まれる。時には犯罪捜査のみならず、判決を、処刑を下す役を買って出ることもある。ハードボイルドの物語構造は、騎士物語と同じく、探求と発見から成っている。アメリカ産ハードボイルド探偵小説は、50年代、日本に翻訳紹介された。80年代より、国産ミステリーに占める割合は確実に上昇していき、生島治郎、北方謙三、原燎、藤田宜永、大沢在昌、白川道、藤原伊織などの人気作家を擁して、確固たる位置を占めている。

(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)

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世界大百科事典 第2版 「ハードボイルド」の意味・わかりやすい解説

ハードボイルド【hard‐boiled】

もともとソフトボイルド(半熟)に対する卵のかたゆでを指す形容詞だが,感情面における無情なtoughこと,あるいは感情を押し殺して表面に出さない状態をいうのに使う。したがって非情,非感傷的,シニカルなどと同義になる。ハードボイルド・ディテクティブといえば,往年の映画俳優ハンフリー・ボガートがよく主演した探偵もの映画の主人公のように,無口で無表情,眉ひとつ動かさず大胆なことをやってのけるような探偵,ということになる。

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世界大百科事典内のハードボイルドの言及

【アメリカ文学】より

… 第1次世界大戦を経て,戦後のいわゆるロスト・ジェネレーションの作家たちは,1920年代の〈荒地〉的風景において,その名の示す通り,神の恩寵から見放された人間の状況を書いた。F.S.フィッツジェラルドは《偉大なるギャッツビー》(1925)その他の作品でジャズ・エージの夢が崩壊するさまを書き,ヘミングウェーは《陽はまた昇る》(1926)以下の作品において〈ハードボイルド〉と呼ばれる,タフ・ガイが非情に語るような文体を駆使して現代の空虚に生きる人間を示した。フォークナーも特異な文体家であるが,代表作《響きと怒り》(1929)などにより,南部社会の深層を〈意識の流れ〉の手法の開拓やトウェーン伝来の語り口を通じてみごとに剔出して見せた。…

【推理小説】より

… デュパン以後の素人探偵が,あまりにも人生をゲーム視しすぎ,鼻につくほどの知性やペダンティズムを示すのに不満な現実派は,市井の泥沼で手足を汚すことを迫られる現職警官や素人探偵を主人公に置く。とくに社会不安が深刻になってきた1930年代から,タフな神経と肉体を持つ一匹狼が巨大な社会組織に立ち向かうという,いわゆる〈ハードボイルド〉小説,例えばD.ハメット,E.S.ガードナー(1889‐1970),R.チャンドラー,ロス・マクドナルド(1915‐83)など,アメリカ独特の作家の作品が広く世界中で歓迎され,同傾向の作家が各国に出現した。この種の小説の特色は,感情におぼれない,とくに女性の魅力に動かされない男の強烈な個性と,心理より行動に重点を置く簡潔な口語的文体である。…

※「ハードボイルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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