出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「バウアー」の意味・読み・例文・類語
バウアー(Ina Bauer)
[1941~2014]旧西ドイツのフィギュアスケート選手。3度ドイツチャンピオンとなり、世界選手権でも活躍。滑走法イナバウアーの開発者として知られる。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
バウアー
Bauer, Otto
[生]1882.9.5. ウィーン
[没]1938.7.4. パリ
オーストリア社会民主党の指導的理論家。 F.アードラーとともに『デア・カンプ』誌を創刊し,K.カウツキーの『ディ・ノイエ・ツァイト』誌に協力。 1904年社会民主労働党国会議員団書記。 07年『アルバイター・ツァィトゥング』紙の主筆。第1次世界大戦中にロシア軍の捕虜となり,ボルシェビズムを学び,17年帰国後は党左派の指導者となった。 18~19年外相となり,ドイツとオーストリア合邦の実現に努め,19年ドイツの B.ランツァウ外相と秘密の合併書に調印した。その後 M.アードラーとともにマルクス主義の指導者となり,共産主義と社会民主主義の分裂に対し調停的立場から労働戦線の統一に努めた。 29年国民議会議員となったが,34年ウィーン蜂起失敗後,亡命してチェコスロバキア,フランスから党を指導した。
バウアー
Bauer, Bruno
[生]1809.9.6. アイゼンベルク
[没]1882.4.13. ベルリン近郊
ドイツの神学者,哲学者,歴史家。ヘーゲルの弟子。ヘーゲル右派から,のち左派に転じ,極端な無神論の立場を取った。 1839年ボン大学教授となったが,42年過激な聖書批判のため同大学を追われた。主著『ヨハネ福音史批判』 Kritik der evangelischen Geschichte des Johannes (1840) ,『共観福音書著者の福音史批判』 Kritik der evangelischen Geschichte der Synoptiker (41~42) 。
バウアー
Bauer, Walter
[生]1877
[没]1960
ドイツのプロテスタント神学者。ブレスラウ,ゲッティンゲンの各大学助教授を経て,1919年ゲッティンゲン大学の教授に就任。新約聖書のギリシア語研究に貢献した。主著『ヨハネによる福音書』 Das Johannesevangelium (1912) ,『アンチオキアのイグナチウスの書簡とポリュカルポスの書簡』 Das Briefe des Ignatius von Antiochia und der Polykarpbriefe (20) 。
バウアー
Bauer, Wolfgang
[生]1941.3.18. グラーツ
オーストリアの劇作家。ハプニングや即興劇などの前衛的手法と伝統的な民衆劇の劇作法を組合せながら,現代社会の断絶の深さや混乱を描く。代表作『マジック・アフタヌーン』 Magic Afternoon (1968) ,『チェンジ』 Change (69) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
バウアー【Otto Bauer】
1881‐1938
オーストリア社会民主党左派の指導者。ウィーン大学で法律を学び,在学中,K.レンナー,M.アードラー等と親交を結ぶ。V.アードラーに師事し,1907年から機関紙誌《アルバイター・ツァイトゥング》《闘争》の編集に従事。第1次大戦中出征し,ロシアで捕虜となり,17年帰国。18年11月のV.アードラーの死後,19年7月まで共和国外相としてドイツへのオーストリアの併合に努力したが,サン・ジェルマン条約によって併合は禁止された。
バウアー【Bruno Bauer】
1809‐82
ドイツの神学者,〈若きヘーゲル派〉の指導的理論家。当初正統的ヘーゲル派の立場から神学を学ぶが,やがてヘーゲル極左派に転回し,福音書批判をとおして無神論者となる。1842年ボン大学を追放され,また同年末以降それまで親しかったマルクスとも決裂する。以後彼は,理論信仰ともいうべき自己意識の哲学を掲げ,アナーキズムの傾向をも強める。48年革命以後は保守的無神論者,反ユダヤ主義者として知られる。【良知 力】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
バウアー
Otto Bauer
1882~1938
オーストリア・マルクス主義の指導的理論家。オーストリア社会民主労働者党左派の指導者。1918~19年オーストリア共和国外相としてドイツ‐オーストリア合邦の実現に努めた。34年のウィーン蜂起失敗後に亡命。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典内のバウアーの言及
【疎外】より
… ヘーゲルが疎外という彼岸性を克服すべく提起したものは,(1)人間存在の共同性が社会意識によって疎外されるのではなく,自覚化されるような真の共同社会の実現,(2)宗教という疎外の極限形態の〈絶対知〉への止揚,(3)たんに義という本質(普遍)の支配ではなくて,〈ゆるし(和解)〉という,普遍と個の生きた媒介という内容であった。
[ヘーゲル左派における用法]
B.バウアーが〈自己疎外〉という用法を用いたとき,人間の本質は自己意識であり,神はその人間の疎外態であるという意味が明確になった。つまりヘーゲル解釈を宗教批判の方向にすすめたのである。…
【ヘーゲル学派】より
…すると,人格性と不死は虚妄となってしまうと彼は考えた。右派の一人にB.バウアーがいた。彼は先輩格の牧師マールハイネケP.K.Marheinekeに委嘱されて,ヘーゲルの《宗教哲学講義》の第2版を編集していた。…
【ユダヤ人】より
…
[マルクス主義とユダヤ人]
ユダヤ教徒解放をめぐる論議に触発されて《ユダヤ人問題によせて》を著したマルクスは〈ユダヤ教徒の社会的解放はユダヤ教からの社会の解放である〉という論理を提示し,やがてそこからプロレタリアートの解放こそが普遍的・人間的解放であるとの立場に移行することになる。そこでは,ヨーロッパ啓蒙思想に内在し,ヘーゲル左派のB.バウアーによって明示されたユダヤ教徒解放否定の論理,すなわちキリスト教より低い発展段階にあるユダヤ教徒はそのままではついに解放されえないし,解放されうるとすれば彼らのキリスト教徒への改宗を通じてであるという議論はなお完全に克服されるにはいたっていない。その結果,19世紀末から20世紀初頭のマルクス主義的社会主義運動は,資本主義体制への批判と社会改革の要求を掲げる反ユダヤ主義運動を〈自動的社会主義〉(エンゲルス)あるいは〈愚者の社会主義〉と嘲笑的に批判するにとどまり,資本主義の発展が貫徹するとともに同化が進み,これに応じて古くさい偏見に基づく反ユダヤ主義もまた消滅するであろうと楽天的な見方を捨てなかった。…
※「バウアー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報