精選版 日本国語大辞典 「バビロン」の意味・読み・例文・類語
バビロン
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古代バビロニアおよび新バビロニア(カルデア朝)の首都として繁栄した古代都市。その遺跡はイラク共和国の首都バグダード南方約110キロメートルのユーフラテス川河畔にある。バビロンの名は、シュメール語カ・ディンギル「神の門」を、バビロニア語に訳したバーブ・イル(ここからヘブライ語バベルが出た)、あるいはイル「神」を複数にしたバーブ・イラーニのギリシア語形で、もとここはメソポタミアの古い神域であった。バビロンについての記録はアッカド朝シャルカリシャッリ王(前2300ころ)にさかのぼるが、もっとも繁栄したのはバビロン第1王朝、とりわけ英主ハムラビ王(在位前1792~前1750または前1728~前1686)の時代であった。バビロン第9王朝を継ぐ新バビロニア(カルデア王朝、前625~前539)の第2代ネブカドネザル2世(在位前605~前562)のもとでバビロンは新たに補修・造営されたが、前539年にアケメネス朝ペルシアの攻撃を受けてこの王朝は倒れ、ついでこの地に入ったマケドニアのアレクサンドロス大王がここで没してから、セレウコス朝(シリア王国)のもとで近くにセレウキアが建設されたためにバビロンは衰退した。
バビロンについては『旧・新約聖書』、古典古代の著述家(とくにヘロドトス)が種々の伝承・記述を伝えている。『旧約聖書』では、いわゆるバベルの塔(ジッグラト)、バビロニアによるユダ王国の征服、バビロン捕囚(前597、前586)とバビロンからの帰還、バビロンの陥落などが記されており、とりわけバビロン(新バビロニア)の横暴を憤り、その滅亡を予言する「エレミヤ書」、捕囚の苦しみを歌う「詩篇(しへん)」第137篇などはよく知られている。
近代になって、ハムラビ法典やバビロンの新年祭(アキトゥー祭)文書、多くの年代記などの楔形(くさびがた)文字文書から、バビロンをめぐる歴史、宗教、社会などがかなり明らかになった。また1899~1917年にはR・コルデウァイの指揮下にドイツ調査団がこの地を発掘し、主としてネブカドネザル2世治下のバビロン(ユーフラテスを挟む城壁、中央のジッグラト、イシュタル門と通り、いわゆる空中庭園の跡など)が確認された。
[矢島文夫]
『パロ著、波木居斉二訳『ニネヴェとバビロン――続・聖書の考古学』(1959・みすず書房)』▽『J・G・マッキーン著、岩永博訳『バビロン』(1976・法政大学出版局)』
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メソポタミアの都市。「神の門」の義。ウル第3王朝時代に主要都市の一つとして登場するが,バビロンが世界の中心としての地位を得たのは,バビロン第1王朝のハンムラビが再統一を果たし,バビロンの都市神マルドゥク神が神々の王とされたときからである。以後,王朝は交代しても,バビロンが世界の中心という位置づけに変更はなかった。新バビロニア王朝のネブカドネザル2世は「バベルの塔」や王宮,城壁をつくるなど大規模なバビロン復興を実行した。
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(2019-7-9)
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…
【歴史】
[フスタートの建設]
現在のカイロ付近には,古代には,南西のナイル川左岸の山寄りにメンフィスの町があり,北東にはヘリオポリスHeliopolisの町があった。その後メソポタミアからの移民によって,南部の東の山がナイル川に迫った要地にバビロンBabylōnの町ができ,やがてそこにローマ人が砦を築き,ビザンティン時代も支配の拠点となった。641年,エジプトに侵入したアラブ軍の将軍アムル・ブン・アルアースはビザンティン軍を破ってこの地を奪い,642年にエジプト総督のための軍営都市(ミスル)フスタートをここに設定した。…
…しばしば北部のアッシリアと対比され,またバビロニア南部はシュメール,北部はアッカドと呼ばれる。その歴史は,厳密にはバビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まるとみるべきであろうが,以下の記述では,サルゴンによるアッカド帝国の建設によりメソポタミア南部が初めて政治的に統合された時をもってその出発点とし,アレクサンドロス大王による征服までを扱う。なお,以下に掲げるアケメネス朝以前の諸王の治世年代はすべてA.レオ・オッペンハイム《古代メソポタミア》(改訂版,1977)に付されているJ.A.ブリンクマンの年代表に従う。…
…メソポタミア南部(バビロニア)においてセム族が営んだ美術の総称で,時代的にはほぼ前20世紀初めに始まり,前6世紀を下限とする。ウル第3王朝の滅亡後,イシン・ラルサ時代,バビロン第1王朝時代を一般に〈古バビロニア時代〉(前20世紀初め~前16世紀初め)と称し,美術史的にも〈古バビロニア美術〉の呼称をこの時期に用いる。その後のいわゆる〈中期バビロニア時代〉に,この地はカッシートの支配を受け,次いでいくつかの王朝が興亡を繰り返したが,政治的混乱のあおりを受けて,美術的にはカッシート人による美術の遺品のほかはほとんど作品が伝えられていない。…
…バビロンの主神。その名については〈太陽神ウトゥの子牛〉〈マルトゥ人の主〉などさまざまに解釈されて定説がなく,同神の由来も不明。…
※「バビロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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