翻訳|barricade
道路や通路を遮断するために,舗石,車,樹木などで構築される障害物をいう。バリケードは,蜂起や反乱において敵の行動を封じるとともに,反乱側の内部の結束を固めることを目的としている。バリケードという呼称はフランス語に発し,しばしば障害物として大樽 barriqueが用いられたことに由来している。バリケードは,1588年,パリに初めて出現した。同年5月9日ギーズ公が国王の禁止にもかかわらずパリに入城したため,国王は軍隊によってこれを制圧しようとした。これに対し,5月12日パリ市民が蜂起し,土を満たした大樽によって道路を遮断した。第2回目のバリケードは,1648年にパリ高等法院のブルーセルが逮捕されたのに対し,8月26日パリ市民がその釈放を要求して蜂起したときに出現した。この蜂起によってブルーセルは釈放されたが,これがフロンドの乱の発端となった。バリケードが最も頻繁に築かれたのは,19世紀のパリにおいてであった。19世紀においては,民衆の反乱はほとんど常にバリケードの構築をもって開始された。例えば,1830年の七月革命,48年の二月革命と六月蜂起,51年12月のルイ・ナポレオン・ボナパルトのクーデタに対する反乱,あるいは71年のパリ・コミューンなどにおいて,バリケードは反乱の合図となった。このようなバリケード構築による市街戦という形態をとる反乱は,フランス革命期に創設された国民軍の存在と密接な関係をもっている。市民軍としての国民軍は,本来ブルジョアジーの自衛のための武力であったが,しばしば反乱側に加担した。このため反乱は武装蜂起へと転化し,バリケードを中心とする市街戦が展開されることになった。しかし,このような19世紀型の反乱は,第二帝政下,オスマンのパリ都市改造によって,バリケード戦に有利な狭く入り組んだ道路が除去され,直線的な大通りにとってかえられたことと,71年に国民軍が廃止されたことによって,衰退していった。しかし,20世紀に入ってもバリケードは反乱に際してしばしば登場した。例えば,1944年8月のパリの解放や,60年のド・ゴール将軍の政策に対するアルジェの植民者たちの反乱,あるいは68年のいわゆる五月革命などにおいてもみられ,またフランスのみならず世界各地において,都市における反乱や内戦による市街戦の際に構築されている。しかし,20世紀におけるこれらのバリケード戦は,19世紀のそれのように権力との正面からの全面的武装対決というより,ゲリラ戦的なものになり,同時にバリケードのもつ象徴的な側面の比重が大きくなってきているといえよう。
執筆者:木下 賢一
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