バルフ(英語表記)Balkh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルフ」の意味・わかりやすい解説

バルフ
Balkh

アフガニスタン中央北部,バルフ州の町。州都マザーレシャリーフの西北西約 25km,アムダリア沿岸平野のバルフ川右岸に位置する歴史的な都市。一般にアケメネス朝ペルシアのバクトリア州 (サトラッピ) の首都で,アレクサンドロス大王に征服され,アレクサンドリア・バクトラと命名された都市と同一地とされている。当時から中央アジアとインド,中国を結ぶ交通の要地で,シルクロード上の一大交易地でもあった。前1世紀にはクシャン朝,5世紀にエフタル,7世紀からはイスラムの支配下の主要都市として繁栄した。 1220年にチンギス・ハン軍によって破壊され,長く廃虚であった。通商上の重要地点として 19世紀初め再びこの地域の首都となったが,流行病のため,1866年マザーレシャリーフに州都が移され衰微した。人口約 3000。

バルフ
Balfe, Michael-William

[生]1808.5.15. ダブリン
[没]1870.10.20. ハーフォードシャー,ローニーアビー
アイルランドの歌手オペラ作曲家。9歳からバイオリニストとして知られ,作曲もしたが,1824年ドルアリー・レーン劇場のバイオリニスト,バリトン歌手となり,以後 33年まで歌手としてイタリア各地で,その後ロンドンパリ活躍。 45~52年ロンドンの王立劇場の指揮者をつとめた。代表作はオペラ『ボヘミアン・ガール』 (1843) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バルフ」の解説

バルフ
Balkh

アフガニスタン北部の都市名。かつてギリシア人バクトリア王国の首都バクトラとして繁栄した。しかしヘレニズム時代にさかのぼる遺構はなお発見されず,周辺には仏教遺跡が存在するのみ。イスラーム時代にもナウバハル(Nowbahar,新寺)の名が残り,アッバース朝初期の宰相として活躍したバルマクは新寺管理者の子孫といわれる。イスラーム時代にはホラーサーン州の中心都市の一つであったが,チンギス・カン軍隊に大破され,廃墟と化した。

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世界大百科事典 第2版 「バルフ」の意味・わかりやすい解説

バルフ【Balkh】

アフガニスタン北部にある古都で,古名はバクトラBactra。ヒンドゥークシュ山脈北麓からアム・ダリヤ上流域に広がるバクトリア地方の中心として,古代から中世にかけて繁栄した。イラン,中央アジア,インドを結ぶ交通の要衝であり,アケメネス朝ペルシア以降周辺諸勢力の支配と地方独立政権の成立が繰り返されたが,13世紀初めのチンギス・ハーンの破壊によって都城は大きな打撃をうけ,後に新市が再建されたこともあったが,現在は遺跡のそばに小村が存在しているにすぎない。

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世界大百科事典内のバルフの言及

【バクトリア王国】より

…前250年ころバクトリア太守ディオドトスDiodotosが,セレウコス朝の支配から独立,建国したギリシア人王国。首都は現在のアフガニスタン北部のバルフ(古称バクトラBaktra)にあった。なお,バクトリアBaktriaとはヒンドゥークシュ山脈からアム・ダリヤ中流域にかけての地域を指す歴史的呼称で,この地は前4世紀末アレクサンドロス大王の攻略をうけ,大王の死後はセレウコス朝の支配下に置かれた。…

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