インドの法律家。ベンガル地方生まれ。苦学しながら数学と法学を学び、カルカッタ大学法学教授、カルカッタ高等法院判事、カルカッタ大学副学長を歴任した。1946年5月、極東国際軍事裁判(東京裁判)のインド代表判事に就任。同裁判の終了時、多数判決と真っ向から対立する大部の反対意見書(いわゆる「パル判決」)を提出し、現行の国際社会において侵略戦争の計画・開始は個人に刑事責任を問いうる国際法上の犯罪にはなっておらず、また残虐行為について被告に責任を負わせるには証拠不十分であるとの理由で、すべての起訴事実について被告全員の無罪を勧告した。インド本国政府は当時、連合国の方針に反するパルの個人的意見に批判的であったが、パルは勝者が事後法の法的根拠で敗者だけを一方的に問責することに反対した。東京裁判後は1952年に国際連合国際法委員会委員。
[日暮吉延]
『東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』上下(1984・講談社)』
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