インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派に属するアーリア諸語の一つであり、西部ヒンディー語群のなかに含まれる。13世紀の初頭デリーにイスラム王朝が成立したのち、トルコやパンジャーブ地方出身のイスラム兵士たちと地元のヒンドゥー教徒たちとの間のコミュニケーションを通じて、バーンガルー方言とパンジャーブ語が融合し、さらにトルコ語やペルシア語やアラビア語の語彙(ごい)が混入して一種の共通語が誕生した。この共通語を13世紀の有名な詩人アミール・ホスローは「ヒンドビー語」Hindvīとよび、ムガル王朝の創設者であるバーブルは「ヒンドゥスターン語」Hindustānīとよんでいるが、16世紀ごろまでは北インドのイスラム教徒とヒンドゥー教徒との間で用いられる共通会話語という地位にとどまっていたものと考えられる。
一方、14世紀に、トゥグルクが都をデリーから南のドーラターバードに移し、のちにバフマン王朝が確立されたが、その際デリー地方から移住した軍人や文人たちは、口語であったヒンドゥスターニー語からダキニー(南方語)とよばれる文学語を発達せしめた。やがて17世紀後半デカン地方へ遠征してこの言語の存在に気づいた北インドのイスラム兵士たちは、自分たちの話す言語をこれと区別して「ウルドゥー語」Urdū(軍営地で話される語)とよぶようになった。したがって、ヒンドゥスターニー語のことをイスラム教徒はウルドゥー語ともいい、ヒンドゥー教徒のほうはヒンドビー語ないしヒンディー語ともよんでいたわけである。しかし、19世紀以降、この言語はまったく同じ文法を有しながらも、ペルシア語・アラビア語の語彙を多く含みペルシア文字によって書き表される現代ウルドゥー語と、サンスクリット語の語彙を多く含みナーガリー文字によって書き表されるカーリーボーリー語(標準ヒンディー語)の二形式に分かれ、今日に至っている。
[奈良 毅]
『Census of India 1961, vol.1, part Ⅺ‐C(i) Language Monographs (Language Division, India)』▽『土井久彌著『ヒンディー語入門』(1979・泰流社)』▽『土井久弥著『ヒンディー語小辞典』(1982・大学書林)』
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インド・アーリヤ諸語の一つ。地域名のヒンドゥスターンに由来。北インドで広く使用される話し言葉をさす。この言語がもととなり,書き言葉として発達したのが,ヒンディー語(デーヴァナーガリー文字を使用),ウルドゥー語(ペルシア文字に一部改変を加えた文字を使用)である。ガンディーはヒンドゥスターニー語をインドの公用語とし,デーヴァナーガリー文字,ペルシア文字を併用することを主張した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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