ビクトリア

デジタル大辞泉 「ビクトリア」の意味・読み・例文・類語

ビクトリア【Victoria】[ローマ神話の勝利の女神]

ローマ神話の勝利の女神。ギリシャ神話ニケと同一視されている。ウィクトリア

ビクトリア【Victoria】[英国女王]

[1819~1901]英国女王。在位1837~1901。1877年からインド女帝を兼任。64年に及ぶ治世の間は、資本主義の発達、全世界にまたがる植民地の獲得などを通して、ビクトリア時代とよばれる大英帝国の黄金時代となった。

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精選版 日本国語大辞典 「ビクトリア」の意味・読み・例文・類語

ビクトリア

  1. ( Victoria )
  2. [ 一 ] オーストラリア南東部の州。州都メルボルン。一八五一年にニューサウスウェールズ植民地から分離して自治植民地となり、一九〇一年連邦結成で州となった。森林・水・鉱物資源にめぐまれ、石炭の産出、水力発電・工業が盛ん。
  3. [ 二 ] カナダ西部ブリティッシュコロンビア州の州都。バンクーバー島の南東端にある港湾都市で、保養・観光地としても知られる。
  4. [ 三 ] インド洋西部、セイシェル共和国の首都。マーエ島東岸に位置する港湾都市。

ビクトリア

  1. ( Victoria ) イギリスの女王。ハノーバー朝最後のイギリス君主(在位一八三七‐一九〇一)。一八七七年インド女帝に即位。イギリスの最繁栄期にあって、「君臨すれども統治せず」の現代の君主の位置を確立した。(一八一九‐一九〇一

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百科事典マイペディア 「ビクトリア」の意味・わかりやすい解説

ビクトリア[女王]【ビクトリア】

英国の女王(在位1837年―1901年)。ジョージ3世の孫。18歳で即位した。首相メルバーンから君主としての教育を受け,夫アルバート公の豊かな教養と賢明な助言を受けて,国民の敬愛を集め,王室の地位を高めた。1861年夫の死後しばらく隠遁生活に入ったが,政治への関心は失わなかった。1877年インド皇帝の称号を受けた。その64年の治世は,英国王中最長であり,国内では自由主義的諸改革が行われ,自由・保守両党にグラッドストンディズレーリの両雄が並び立って,二党対立の古典的な議会政治が展開した。また産業が発達し,対外的には帝国主義政策に基づく市場獲得が進み,英国の最盛期であった。
→関連項目アルバートイギリスエディンバラ公エドワード[7世]オールド・ビックタービニア号ビクトリア・アンド・アルバート博物館ビクトリア時代ビクトリア十字勲章メルバーン

ビクトリア

スペインの作曲家。モラーレスゲレーロの後を受け,スペイン音楽〈黄金世紀〉の教会音楽の頂点を形づくった。カスティリャ地方の古都アビラに生まれる。1565年ローマに留学し,イエズス会系の神学校に入学。のち同校の礼拝堂楽長などを歴任した。ローマではパレストリーナに学んだと推定される。1575年には司祭の資格を得るが,やがて要職をすべて辞して作曲に専念。1585年ころスペインに帰国し,1590年代にローマを再訪した以外,後半生のほとんどをマドリード近郊の修道院で送った。現存する作品はすべて宗教合唱曲で,ミサ曲約20,モテット約50など約180曲。ほとんどが無伴奏合唱の形で書かれ,ほの暗い情念に満ちた劇的な作品にその個性は際立って表れている。代表的な曲集に《聖週間聖務日課集》(出版1585年),1603年に作曲された名作《レクイエム》を含む《死者のための聖務日課集》(出版1605年)などがある。→レクイエム

ビクトリア[湖]【ビクトリア】

アフリカ東部,ケニア,ウガンダ,タンザニアの国境,赤道直下にあるアフリカ最大の湖。面積6万8800km2,湖面標高1134m,水深は平均40m,最大84m。ナイル川の主要水源で,北岸のジンジャからビクトリア・ナイルが流出する。内陸水路として重要で,キスム,ジンジャ,エンテベ,カンパラに近いポート・ベル,ムワンザなどの港がある。1858年スピークがナイルの水源であることを確認した。
→関連項目ウガンダキスム

ビクトリア[州]【ビクトリア】

オーストラリア南東端の州。南岸寄りにオーストラリア・アルプスが走り,北西部はマレー川流域の低地帯。内陸を除き好適な気候で,小麦,ブドウなどが栽培され,羊,牛などの牧畜が盛ん。金鉱,石炭を産する。1835年メルボルンに最初の植民が行われ,19世紀中ごろバララト地区の金鉱発見以後植民者が急増。州都メルボルン。22万7416km2。535万4042人(2011)。

ビクトリア[島]【ビクトリア】

カナダのヌナブトノースウェスト・テリトリーズ,フランクリン地区に属する北極海諸島中の大島。低平な波状地形で,コロネーション湾,アムンゼン湾をはさんで本土と対する。1838年T.シンプソンが発見。米加共同の測候所がある。海岸に少数のイヌイットが住む。約21万km2

ビクトリア(地名)【ビクトリア】

カナダ南西端,バンクーバー島南岸に位置するブリティッシュ・コロンビア州の州都。古い英国風の風格をもつ観光都市で,シアトル,バンクーバーの両市までフェリーが通じる。ビクトリア,エスキモルトの2良港をもつ。1843年に創設。1858年のゴールドラッシュで発展。8万17人(2011)。
→関連項目バンクーバー[島]

ビクトリア

アフリカ東部のインド洋上の島国,セーシェルの首都。同国の最大の島マエー島の北東岸に位置する。フランス領時代にはマエーと呼ばれたが,イギリス領になってビクトリアと改称した。国内唯一の都市で,国の行政,文化,商業,観光の中心地になっている。水深の深い良港をもち,コプラ,シナモン,茶,バニラなどが輸出されている。また近くには国際空港もある。人口2万6450人(2010)。

ビクトリア[駅]【ビクトリア】

英国,ロンドンに点在するターミナルの代表格。バッキンガム宮殿の南側に位置し,地下鉄も3系統が接続している。イングランド南東部やガトウィック空港,海峡に面し大陸と結ぶ船着場でもあるドーバーなどとを結ぶ列車が主に発着する。ホテルやショッピングセンターも隣接し,鉄道利用客以外でも賑わいを見せる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビクトリア」の意味・わかりやすい解説

ビクトリア[州]
Victoria

オーストラリア南東部の州。面積22万7600km2,人口493万(2006)。州都はメルボルン。東西にのびる大分水嶺山脈を境に,北側はマレー川流域の低地,南側は低い丘陵地帯と海岸低地である。州面積の約2/3が年降水量500mm以上で,土地利用も比較的集約的である。北部のマレー川流域では小麦や羊を中心に,肉牛飼育や灌漑による果樹栽培もみられる。山地では林業のほか西部で牧羊が発達し,南部では酪農,園芸が中心である。人口の約7割,工業生産額の約9割がメルボルンおよびジロングに集中している。人口,経済規模の点でニュー・サウス・ウェールズ州とならぶこの国の中心州である。自動車,繊維,衣料品をはじめ各種工業が発達し,工業生産額は全国の1/3余りに達する。農牧業の代表は酪農で,乳牛頭数は全国の1/2,バター生産量は全国の約8割を占める。またバス海峡(ギプスランド沖合)の原油,天然ガスは全国的に重要であり,ラトローブ地方にはこの国唯一の大規模な褐炭資源があり,発電に利用されている。主要輸出品は羊毛,肉,穀物,酪製品,石油製品などで,日本は最大の輸出先であるとともにアメリカとならぶ主要輸入先である。1836年にニュー・サウス・ウェールズの一部として発足し,51年に分離して自治植民地となった。1850年代のゴールドラッシュとその後の農牧開拓により発展し,1901年の連邦結成により州となった。
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ビクトリア
Victoria

カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州の州都。大都市域人口33万4670(2005)。太平洋岸のバンクーバー島南東端,フアン・デ・フカ海峡に面する保養都市。良港をもち,1843年にハドソン湾会社によって毛皮取引のための集落がつくられた。1908年にカナダ・パシフィック鉄道会社によって豪華なエンプレス・ホテルが建設されてから,保養地として発展し,フェリーが本土との間を結んだ。カナダで最も温暖な気候に恵まれ,引退後の生活を送る移住者が多い。ビクトリア湾を見下ろす州議事堂の建物やイギリスの町並みを思わせる伝統的景観,トーテムポールのすぐれたコレクションを誇るサンダーバード公園や州立博物館などが観光客をひきつけている。
執筆者:


ビクトリア
Tomás Luis de Victoria
生没年:1548-1611

スペインの作曲家。カスティリャのアビラに生まれた。1565年以後ローマに行き,イエズス会系神学校で学び,後に神学校の音楽監督,聖堂楽長をつとめ,75年司祭となった。若い時代にA.deカベソンに,ローマではパレストリーナに学んだと推測されている。現存の作品はすべて宗教合唱曲である。彼の音楽は,キリストの受難に関する作品ではきわめて劇的,沈痛かつ神秘的な性格をもつが,また一方では澄みきった明朗さを示す作品もあり,当時,インドや南アメリカにもその作品が伝えられたといわれる。代表作には,モテット《おお,道行く人よ》《聖週間の典礼》,2組の《死者のための典礼》(レクイエム)がある。
執筆者:


ビクトリア
Victoria

東アフリカの東方,インド洋上の島国セーシェル共和国の首都。人口2万5000(2004)。セーシェル諸島中最大のマヘ島北東岸にあり,フランス領の時代にはマエとよばれ,1810年イギリス領になってビクトリアと改称した。気候は赤道に近いにもかかわらず健康的で,サイクロンの襲来もない。この国唯一の都市であり貿易港で,コプラ,ニッケイ,バニラ,ハッカなどを輸出し,漁港でもある。
執筆者:


ビクトリア
Victoria

アフリカ中西部,カメルーン西部の港湾都市。人口2万7000(1976)。カメルーン山南麓,ギニア湾の奥のドゥアラ湾に臨み,ココア,コーヒーなどが主要輸出品である。1858年に宣教師が建設した町で,カメルーン独立前はイギリスの国連信託統治領の南東端に位置し,地名はイギリス領時代のなごりである。1971年に終了した第2次開発五ヵ年計画で港湾施設が近代化された。
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世界大百科事典(旧版)内のビクトリアの言及

【オーエン・スタンリー[山脈]】より

…中新世の造山運動によりできたとされ,西はニューギニア中央高地へ,東はしだいに高度を減じルイジエード諸島へとそれぞれ連なる。最高峰はビクトリア山(4073m)で,このほかにもアルバート・エドワード山をはじめ3000~4000m級の雪を頂く高峰をもつ。【石井 真夫】。…

【ローマ楽派】より

…主として,16世紀後半から17世紀前期にかけて,ローマを中心に,厳格な〈ア・カペラ〉様式の教会音楽を作曲した一群の音楽家をいう。代表的な作曲家としては,パレストリーナ,ナニーノGiovanni Maria Nanino(1545ころ‐1607),ソリアーノFrancesco Soriano(1549‐1621),アネリオGiovanni Francesco Anerio(1567ころ‐1630),スペイン人ビクトリアらが挙げられるが,17世紀のバロック時代にスティーレ・アンティーコstile antico(古様式)の名で,パレストリーナらの様式に従って宗教曲を作曲したアレグリGregorio Allegri(1582‐1652),ベネボリOrazio Benevoli(1605‐72)らが含められることもある。 16世紀のローマ楽派の音楽家たちは,反宗教改革の粛正的気風のなかで,半音階的手法などによる不安定な情感の表出を排除した,清澄なア・カペラのミサ曲やモテットを作曲し,同時代のベネチア楽派とは対照的に,教会ではオルガン以外の楽器を用いないようにした。…

※「ビクトリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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