日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ピウスツキ(Józef Piłsudski)
ぴうすつき
Józef Piłsudski
(1867―1935)
ポーランドの軍人、政治家。リトアニアのシュラフタ(特権的身分)出身。ハリコフ(ハルキウ)大学在学中にナロードニキ運動に参加し、ロシア皇帝暗殺計画の容疑で1887~1892年にシベリア流刑を経験。1893年ポーランド社会党に入党、独立運動を指導するが、彼の指導する右派は反ロシア的傾向を強め、ロシアの革命勢力との共闘を主張した左派と対立した。日露戦争中に来日し、日本軍との共同軍事行動を提案し、軍事援助を要請したが失敗した。その後、親オーストリア派の立場で次々に軍事組織を設立し、第一次世界大戦中はポーランド軍団を率いて、オーストリア・ドイツ側にたって参戦したが、ロシア革命後、ドイツ皇帝に対する忠誠を拒否したため投獄された。
1918年11月ドイツ革命で釈放されるとワルシャワに帰り、国家元首に就任し、ポーランド分割以前の領土回復を目ざして対ソ連戦争を指導した。しかし、1921年に大統領の権限が弱められた新憲法が成立すると、それに対する不満から政界を引退。その後2回クーデターを計画し、ともに失敗したが、不安定な政治状況と経済危機を背景に国民各層の支持を得て、1926年5月クーデターに成功した。議会は形式的に維持されたが、彼は、サナツィア体制とよばれる実質的な独裁体制を確立し、1930年9月には反対派に大弾圧を加えた。対外政策の面では、反ソ的な外交を推進する一方、フランスとの同盟政策を離れ、ナチス・ドイツと接近した。
[安部一郎]