精選版 日本国語大辞典 「ピサ」の意味・読み・例文・類語
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イタリア中部、トスカナ州ピサ県の県都。人口8万5379(2001国勢調査速報値)。アルノ川の河口から13キロメートル上流に位置し、鉄道・道路交通の要衝である。かつては沼が多く、しばしばアルノ川の氾濫(はんらん)にみまわれてきたが、幾世紀にも及ぶ干拓事業によって豊かな農業地帯にかえられた。また工業に関しても、伝統的な羊毛工業、ガラス・陶器の製造に加えて、機械、化学、薬品、食品の諸工業が立地するようになった。ピサの名を世界的に有名にしているのは、ピサ大聖堂に付属する高さ約55メートルの鐘塔、いわゆる「ピサの斜塔」(1173~1350)である。その傾斜防止は、ベネチアの地盤沈下防止とともにイタリアの国家的課題となっていた。1990年、一般公開には危険な角度にまで傾斜したことにより閉鎖。以後11年にわたり修復作業が行われ、2001年工事が終了した。1343年創設の大学と、1813年ナポレオンによって設立されたスクォーラ・ノルマーレ・スペリオーレ(高等師範学校)がある。
[堺 憲一]
歴史は紀元前1世紀にさかのぼるが、ローマ時代の遺跡はほとんどない。紀元後9、10世紀から海上勢力として発展し、11世紀にはジェノバとともに西地中海のイスラム海軍を圧倒した。トスカナ地方の港として商業的に繁栄し、自治都市として発展した。13世紀末にはライバルであるジェノバに敗れ、コルシカやサルデーニャの支配権を失った。1406年にフィレンツェに征服された。文化的中心としてなお重要性を維持したが(ピサ大学)、経済的にはメディチ家が力を入れた港リボルノの興隆の前に衰退していった。
[清水廣一郎]
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イタリア中部トスカーナ地方の港湾都市。エトルスキによって建設され,前2世紀にローマに服属。ローマ帝国崩壊後,ランゴバルド,フランクに支配される。11世紀に自治都市となり,地中海商業で繁栄。十字軍にも積極的に関与する。12世紀に最も繁栄するが,1284年にジェノヴァに敗れて弱体化。ミラノ,フィレンツェにあいついで服属したのち,16世紀以降トスカーナ大公国領となり,ガリレイを輩出するなど学術の町として繁栄した。
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…内陸部のキリスト教勢力は11世紀になってようやく団結して,イスラム勢力と戦うようになり,1066年にカリアリのトルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家の支配が確立した。同時にこの頃からピサ勢力の浸透が始まったが,やがてジェノバ勢力もピサに対抗して商業面および政治面でサルデーニャへの浸透をはかるようになり,13世紀にはピサおよびジェノバの両共和国の争いに,教皇,神聖ローマ皇帝,アンジュー家なども加わって,サルデーニャの政治状態はまったく混乱したものとなった。結果として,多くの都市がジェノバの影響下に入り,サッサリをはじめ,これらの都市の多くは自治都市として憲章をもつようになった。…
…これはこのころシチリアに進出し,ビザンティン帝国に脅威を与えていたノルマン人に対抗して,ベネチア船隊が皇帝に援助を提供したためである。一方,イタリア西岸のジェノバ,ピサなどはコルシカ,サルデーニャなどのイスラム勢力と戦い,スペインや北アフリカまで商業圏を拡大した。ノルマンのシチリア征服(1072年パレルモ陥落)によって東,西地中海が再結合され,イタリア,カタルニャ,南フランスの商人が活発に往来するようになった。…
※「ピサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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