ピテカントロプス(読み)ぴてかんとろぷす(英語表記)Pithecanthropus

精選版 日本国語大辞典 「ピテカントロプス」の意味・読み・例文・類語

ピテカントロプス

貧乏物語(1916)〈河上肇〉五「学問上では此人間を名づけてピテクアントロプス(猿の人)と謂って居るさうである」

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デジタル大辞泉 「ピテカントロプス」の意味・読み・例文・類語

ピテカントロプス(〈ラテン〉Pithecanthropus)

ジャワ原人(ホモ‐エレクトゥス‐エレクトゥス)の旧属名。→ホモ‐エレクトゥス

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピテカントロプス」の意味・わかりやすい解説

ピテカントロプス
ぴてかんとろぷす
Pithecanthropus

原人(学名ホモ・エレクトゥスHomo erectus)の旧属名。今日では、ジャワで発見された原人段階の化石人類の通称として用いられる。ジャワ原人ともいう。ギリシア語のピテコスpithekos(サルの意)とアントロポスanthropos(ヒトの意)の合成語で「猿人」の意。

 19世紀後半にヨーロッパ大陸で進化論の普及を図ったドイツの生物学者ヘッケルは、類人猿とヒトをつなぐ鎖のうち、一つの輪は失われたとし、その「失われた輪」に相当する化石動物にピテカントロプス・アラルス(言語なき猿人の意)と命名した。その予言を信じたオランダ人類学者デュボアはジャワに渡り、1891~92年にソロ川のほとりのトリニールで、脳頭蓋(とうがい)と大腿(だいたい)骨とを互いに十数メートル離れた地点から別々に発見した。大腿骨現生人類的であったが、脳頭蓋は低く、とくに前頭部が著しく圧平されており、その当時として他に類例をみないほど半猿半人的であった。

 にもかかわらず、デュボアは頭骨と大腿骨が同一種に属すものとみなして、これにピテカントロプス・エレクトゥス直立猿人の意)と名づけた。この意想外の化石の発見と頭骨・大腿骨の結び付けは、以来学界論議の的となった。しかし、1930年代に中国の周口店より多数の化石人骨(北京(ペキン)原人)が発見されるに至り、両者同類の化石人類とみなされ、その進化上の地位が定まった。

 ところで当時は、猿人と原人とは同義語として扱われていた。しかし、1945年ごろからアウストラロピテクス類が再確認されるにしたがって、これらを猿人とし、ピテカントロプスや北京原人は原人として進化段階を分けるようになった。また原人の研究が進むにつれ、それは明らかに人類の一員であり、それゆえピテカントロプスとよぶより、ホモ・エレクトゥス(直立人猿)とよぶことのほうがふさわしいと考えられた。

 ジャワからはその後もかなりの数の原人化石が発見されている。トリニールからは1900年までにさらに4本の大腿骨と3本の歯が発見された。ケドゥンブルブスからは1890年に未成年の下顎(かがく)骨が発見されていた。サンギランは化石人骨の宝庫であり、1937~38年にオランダの人類学者ケーニヒスワルトにより、頭骨Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ号が発見され、第二次世界大戦後はⅥ、Ⅷ号がインドネシアの人類学者サルトノにより、Ⅶ号が同じくインドネシアの人類学者ヤコブにより発見されている。これらの標本には文化遺物は伴出していない。また頭蓋容量は推定900ミリリットル前後である。生存年代は第四紀更新世(洪積世)前期末、約100万~70万年前とみられている。

[香原志勢]

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百科事典マイペディア 「ピテカントロプス」の意味・わかりやすい解説

ピテカントロプス

ジャワ原人。1891年,ジャワのソロ川流域のトリニール付近で,デュボアによって発見された化石人骨。頭骨・下顎骨・大腿(だいたい)骨等が第四紀洪積世氷河期後半にあたる地層から出土。後1926年―1938年ケーニヒスワルトがさらに上流域で同形の化石骨を発見。眼窩(がんか)上隆起が強く,低頭。脳容積はアウストラロピテクスよりはるかに大。シナントロプスとの類似点が多く,両者は進化の同一段階における地方差とみられる。現在は原人の一つにまとめられ,ピテカントロプスの属名はあまり使われない。
→関連項目アフリカントロプスインドネシア猿人化石人類サンギラン初期人類遺跡ジャワ[島]パチタン文化メガントロプスワイデンライヒ

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世界大百科事典 第2版 「ピテカントロプス」の意味・わかりやすい解説

ピテカントロプス【Pithecanthropus】

ドイツの生物学者E.ヘッケルがいつか発見されるはずの人類の祖先の呼名として提唱し,のちにオランダの解剖学者E.デュボアがインドネシアのジャワ島で実際に発見した化石人類に与えた名称。ジャワ原人と訳される。ピテカントロプスの発見は,ジャワ島中央部を流れるソロ川沿岸のトリニールTrinilで,1891年から翌年にかけてデュボアが頭蓋冠と歯と大腿骨の化石を発掘したのに始まる。彼は脳頭蓋の形がヒトとサルの中間型であることと,大腿骨の形が現代人的であることから,〈直立した猿人〉という意味のラテン語学名〈ピテカントロプス・エレクトゥスP.erectus〉をこの化石人類につけて発表した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピテカントロプス」の意味・わかりやすい解説

ピテカントロプス
Pithecanthropus

1891~1900年オランダの E.デュボアによりジャワ島で発見された初期人類の化石遺残。脳頭蓋が小さく眼窩上隆起が発達し,額が狭く後退していて類人猿に似ているが,大腿骨の形から直立した姿勢をもっていたことが推測されるため,類人猿から人類に進化する途中の移行形と考えられ,ピテカントロプス・エレクトゥス P. erectus (直立猿人) と名づけられた。さらに 37年,G.ケーニヒスワルトによって頭蓋が発見され,その後も発見が続いた。年代は更新世前期とされ,シナントロプスなどとともに,ホモ・エレクトゥス (原人類) に分類される。

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世界大百科事典内のピテカントロプスの言及

【化石人類】より

…1891年にジャワのトリニールで,E.デュボアが発掘した化石頭蓋は,高さがさらに低く,頭蓋腔容積も約850mlと,現代人平均の約3分の2程度であった。デュボアは,この化石こそ,サル(ピテクス)とヒト(アントロプス)のあいだをつなぐ〈失われた環〉にちがいないと考え,これにピテカントロプスの名称を与えた。 ネアンデルタール人によく似た化石は,その後,ヨーロッパで続々と発見され,また1927年から37年にかけて,中国の北京郊外の周口店で,ピテカントロプスに類似した化石が多数発掘された。…

【デュボア】より

…ジャワ原人(ピテカントロプス)を最初に発見したオランダの人類学者。アムステルダム大学で医学を学び,1886年に解剖学の講師となったが,進化論者E.ヘッケルの影響をうけ,類人猿と人類との移行形の化石を発見することを決意し,87年にオランダ植民地軍の軍医となってインドネシアへおもむいた。…

【トリニール】より

…インドネシアのジャワ島中部のソロ川中流沿岸の村。1891年にオランダ人のE.デュボアが,初めてピテカントロプス・エレクトゥスの頭蓋骨をこの地で発見した。出土した地層は中部洪積世のカブーKabuh層であり,その層から出土した動物化石などによる動物層はトリニール相と呼ばれる。…

※「ピテカントロプス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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