ピラミッド(英語表記)pyramid

翻訳|pyramid

デジタル大辞泉 「ピラミッド」の意味・読み・例文・類語

ピラミッド(pyramid)

石や煉瓦れんがで造られた四角錐形の建造物。古代エジプトでは王・王妃などの墳墓として前2700~前2500年ごろを中心に建設され、81基が現存。最大のものは、ギザにあるクフ王建造のもので、高さ146メートル、基底の一辺が約230メートル、その4稜は東西南北を指す。中南米の古代遺跡では神殿の基壇をなすものが多い。金字塔。
ピラミッド形」の略。「ピラミッド商法」「人口ピラミッド
[類語](1墳墓土饅頭墓穴首塚墓地墓所霊園墓場奥津城おくつきりょうみささぎ青山古墳前方後円墳円墳方墳カタコンブ

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精選版 日本国語大辞典 「ピラミッド」の意味・読み・例文・類語

ピラミッド

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] pyramid )
  2. 石または煉瓦でつくられた四角錐形の建造物。その多くはエジプトにあり、ナイル西岸に約八〇基が現存する。古代エジプトの王・王妃・王族の墳墓で、紀元前二七〇〇年から二五〇〇年頃に建造された。側面が平面をなすものの他、階段式のものもある。現存する最大規模のものは、カイロ南西のギゼーにあり、クフ王の建造と伝えられ、底辺の一辺が約二三〇メートル、高さが一四六メートルある。また、その稜線は正確に東西南北をさしている。金字塔。
    1. [初出の実例]「カイロより三里計の処に、ピラミドとて目を驚すほど大なる石塔二あり」(出典:西洋旅案内(1867)〈福沢諭吉〉上)
  3. ( を比喩的に用いて ) ひとりが上に立ち、下に行くにつれて数が多くなり、最も下の多数が全体を支えているような組織。
    1. [初出の実例]「日本というピラミッドの上の方にのっかって」(出典:記念碑(1955)〈堀田善衛〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「ピラミッド」の意味・わかりやすい解説

ピラミッド
pyramid

古代エジプトを代表する墓形式の一つ。方錐形の石造建築物で,王墓に用いられた(第3~第17王朝)。ギリシア語ピュラミスpyramisに由来するが,その語源については古代エジプト語の幾何学用語ペル・エム・ウスper-em-us(〈ウスからの垂直線〉の意),あるいは形が似たギリシアの菓子の名に基づくなど諸説があって確定できない。古代エジプト語名はメルmer。

 ピラミッドの出現は,王墓独自の形式の創出によりファラオ(王)を頂点とした中央集権国家が確立したことを示している。建造の最盛期は〈ギーザの三大ピラミッド〉に代表される古王国時代(第3~第6王朝)で,規模・技術ともに最高水準を示し,〈ピラミッド時代〉の別名がある。現在80基余が知られているが,大部分は古王国の首都メンフィス西方の砂漠台地東端,最北のアブー・ロアシュからギーザ,サッカラを経てメイドゥームに至るいわゆる〈ピラミッド地帯〉に集中している。中王国のピラミッドはファイユーム地方やテーベにもみられる。

 ピラミッドは王の遺骸および副葬品を納置すると同時に,現世にあっては神の化身として宇宙秩序(マアト)をみずからの手で維持し,死後は神々の一員としてこれを保証する存在となるファラオのための供養と祭儀の場でもあるため,ピラミッド本体のほか葬祭殿(上神殿),流域神殿(下神殿),両者をつなぐ参道,周壁,ときには舟坑で構成される。この〈ピラミッド複合体pyramid complex〉を囲んで王妃の小ピラミッド,王族・貴族のマスタバが整然と配置され,現世の国家秩序を来世に投影している。

 ピラミッド本体は底面が正方形の角錐形,四辺は東西南北に面し,斜面の勾配は約52度,北面または北側地表面に〈玄室〉へ通じる傾斜通路の入口が開く。石積みは周辺砂漠台地の岩盤を構成する石灰岩の切石を水平に積みあげ,東岸トゥラ産の上質の石灰岩材で外装,最後に角を削り落として滑らかな斜面に仕上げる。玄室はほぼ中央に位置するが,高さは石積み内部,基盤上,地下岩盤中など一定しない。副葬品用の墓室その他の付属室をもつこともある。遺体は玄室内の石棺に納置され,埋葬後通路は花コウ岩の落し戸や詰石で厳重にふさがれ,入口も周囲と同じ石積みで巧妙に隠される。

 故王の供養と祭儀の場である葬祭殿はピラミッドの東面に接し,基本要素は入口ホール,露天の中庭,彫像安置用の五つの壁龕(へきがん)をもつ室,倉庫,偽扉と祭壇をもつ内陣から成り,第5王朝以降は南東隅に付属ピラミッドをもち,全体はピラミッド本体を含めて周壁で囲まれる。流域神殿はピラミッドの東方,砂漠が耕地に接する地点に設けられ,王のミイラ製作と聖浄の儀式の場とみられる。通常ナイル川と水路でつながれて葬列の舟のための舟着場を備え,ピラミッド建造中は石材運搬船の到着場所でもある。葬祭殿と流域神殿とを結ぶ敷石の参道も,石材運搬路として利用された後石造の側壁と多くの場合天井石とで覆われて完成されたものである。舟坑はすでに第1王朝王墓から散見され,納置された舟の性格については論争が続いているが,1954年クフ王の大ピラミッド南側に発見され復元された例からみて本来は葬儀用の舟で,太陽神信仰との結びつきが強まると,太陽神が天を航海する〈太陽舟〉の性格が付加されたものと思われる。

 最初のピラミッドは第3王朝ジェセル王がサッカラに建造した〈階段ピラミッド〉である。当初正方形のマスタバとして構想され,5度の設計変更の末6段の階段ピラミッドとして完成する(東西約121m,南北約109m,高さ約60m)。葬祭殿は後代と違って北側にあり,エジプト最初の石造建築として,周壁に囲まれた広大な聖域には日乾煉瓦や植物材の建築物を石材で模倣した王宮,セド祭殿(セド祭),入口通廊,第二の墓(マスタバ形式の〈南墓〉),倉庫などが大・中庭を取り巻いている。第3王朝の諸王も〈階段ピラミッド〉の建造を続けるがいずれも未完成に終わった。

 第4王朝初代スネフル王は,第3王朝末の階段ピラミッドを方錐ピラミッドとして完成したメイドゥームのピラミッド(底辺144.32m,高さ92m,勾配51度52分。現在は塔状に崩壊),建造中に勾配を変更(当初の54度31分13秒から高さ49.07mで43度21分へ)したダハシュール南の〈屈折ピラミッド〉(底辺188.6m,高さ101.15m),当初の計画どおり完成された最初の方錐形ピラミッドであるダハシュール北の〈赤色ピラミッド〉(底辺219.28m,高さ104.42m,勾配43度36分11秒)の3基のピラミッドの建造により真正のピラミッド形式を創出,同時に葬祭殿も東側に移し,〈ピラミッド複合体〉の原型をつくり上げる。

 ピラミッド建築の頂点は次王クフ王の〈ギーザの大ピラミッド〉で,最大規模を誇る(底辺230m,高さ144.6m,勾配51度52分,容積約260万m3。平均2.5tの石材約270万~280万個を積み上げたと計算される)とともに石積み技術も最高水準にある(例えば底辺の長さの誤差20cm,方位の誤差1分57秒~5分30秒など)。ギーザの第2ピラミッド(カフラー王墓)もほぼ同じ規模(底辺215.25m,高さ143.5m)で,流域神殿とこれを守護するスフィンクスをよく保存する。ギーザの第3ピラミッド(メンカウラー王墓)は規模は約8分の1に縮小する(底辺108.4m,高さ66.5m)が,巨石材と花コウ岩材の使用によりこれを補っている。

 第5王朝以降ピラミッドの規模は縮小したままで(底辺の平均の長さ約80m)石積み技術も低下する。ただ葬祭殿はいっそう重視され,構造の整備,多様な浮彫や植物柱の使用が進み,第5王朝末からは無銘であった墓室にも〈ピラミッド・テキスト〉や偽扉が刻まれるようになる。第12王朝のピラミッドは底辺の平均的長さ約100m,切石や日乾煉瓦の骨組みの間を割石または砂礫で埋め,切石で外装した。墓泥棒の侵入を防ぐため玄室への通路を複雑にくふうし,巧妙な閉塞装置を考案した。しかし,すべてはむだに終わり,新王国になると王墓としてのピラミッドは放棄されることになる。代わってテーベの私人墓などでは岩窟墓の入口近くに小形急勾配(約70度)の日乾煉瓦造りピラミッドが設けられ,のち第25王朝をたてたナパタ国王に踏襲された(はじめ石造り,のち日乾煉瓦造り。ナパタ,メロエ両墓地に前8~後4世紀まで建造された)。

 ピラミッドの形状の由来については,ピラミッド・テキストからみて故王が昇天するための階段(階段ピラミッド),または太陽光線の具象化(方錐ピラミッド)とみる説が有力である。すなわち方錐ピラミッドの成立は太陽神信仰(ラー)の確立と関係があり,ヘリオポリスの聖石ベンベンの形状も影響を与えている可能性が大きいのである。

 ピラミッドの建造法については古代エジプト人自身による記録は皆無に近いが,ヘロドトス《歴史》の記述や近年の実験考古学の成果により大筋は解明されたといえる。きわめて簡単な道具(石材の加工には銅製の鑿(のみ),運搬には木製の橇(そり)など)を用い,人間の熟練した手と莫大な労働力の投入とによって完成された。日乾煉瓦と砂礫とで石材運搬用の傾斜路が作られ,石積みの進行とともに高さと長さを増し,頂上部に達すると外装材の角を削って滑らかな面に仕上げながら撤去されていった。労働力には農閑期にあたる増水季3ヵ月間の農民の賦役労働があてられ,最大のギーザの大ピラミッドの場合でも,10万人ずつ働いて本体の建造に20年で十分であったと計算されている。奴隷労働が使用された証拠はない。
執筆者:

メソアメリカのピラミッドはときに,天体観測所や墓などの機能をもつものがあるが,基本的には神をまつる場,すなわち神殿であった。このピラミッド神殿建築の出現の様相はいまだ明らかではないが,前1000年ころであったと考えられている。そこからメソアメリカ都市文化が始まり,16世紀のスペイン侵入時まで,ピラミッド神殿はつねに都市の中核を成し,石器時代の技術をもって多彩な建築美を生み出していった。

 ピラミッド神殿の建築様式は,マヤ文化のものなど一部を除いて最上部の神殿部が残存しないため,主として基壇部の特徴をもって分類されている。まず平面の形状をみると,方形,円形,方形と円形の組合せ,あるいは大小の方形を組み合わせたものなどがある。そして,一つまたは複数の階段が,神殿部へのぼるためにつけられている。階段には両袖がつけられたり,石彫で装飾されることもある。ピラミッド外面の形態,とくに壁面の形状も重要な点である。そこには,単純な垂直または傾斜した壁面から,異なった形状の壁をいくつか組み合わせる複合壁までみられる。なかでもテオティワカン様式(テオティワカン文化)のタルー・タブレロ方式の壁が複合壁としてよく知られている。また,多様な組合せによる複合壁が各地につくられ,ときには浮彫や丸彫,フレスコ画などによる装飾が施されることもあった。そして,基壇部全体の形状としては,階段状のものが最も一般的である。こうした建築様式は,土器形式などと同じく,時期や文化の広がりを知る上で,たいへん重要なものとなっている。

 ピラミッド神殿の構造は,基壇部の内部と外面,そして神殿部に分けて述べねばならない。基壇部内部は,パレンケの〈碑銘の神殿〉内部につくられた石室などの例外はあるが,ふつう空洞はない。内部を埋める材料としては土,石,日乾煉瓦などが使われる。なかには基壇内に石壁や日乾煉瓦で小ブロックをつくり,強度を考慮して埋めていく例もあるが,一般には単純な埋立て作業によっている。基壇部外面は,単に割っただけの石を積み上げたもの,整形された切石を使ったもの,焼煉瓦を使った例,土だけのものなどがある。さらにその上にしっくいや化粧しっくいで整形する例も少なくない。次に神殿部は土や石で壁がつくられ,上部構造に植物性材料を使うことが多い。そのためとくに天井と屋根の保存が悪いが,神殿模型や絵文書からある程度の復元が可能な例もある。その点マヤ文化では持送り式アーチ工法を用い,神殿全体が石で建造されたため,保存が良好な例が少なくない。そこでは,屋根の上部につけられる棟飾の位置や形状から地域的特徴を見いだすことができる。

 もう一つ構造をみる上で重要な点は,古い建造物を覆ってより大きな建造物をつくるという伝統である。それによってほとんどのピラミッド神殿は内にいくつもの建造物を包む重層構造をもっている。こうして,そのつどピラミッド神殿の規模は大きくなっていくが,その中でも最大のものはチョルーラCholulaの大ピラミッドである。ただ破壊度がはげしく正確な数値はわからないが,基底部の一辺が300mを超し,高さは60mを超えている。2番目に大きい建造物は,テオティワカンの〈太陽のピラミッド〉で,基底部の一辺約216m,高さ約63mの規模をもっている。容積では,以上の2例に及ぶ建造物はないが,高さだけならティカルの4号神殿が最も高く,69.70mある。この例は神殿部の保存がよく,その高さ24.70mを加えての数値である。
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百科事典マイペディア 「ピラミッド」の意味・わかりやすい解説

ピラミッド

古代エジプトの石造の王墓。底面が正方形の四角錐で,各側面は東西南北に面する。地下に王と王妃の棺を安置する玄室を設け,地上は切石を積み重ね,石灰岩か花コウ岩でおおう。北側から玄室へ通ずる羨道(せんどう)を設ける。マスタバから発展したもので,サッカラにある階段式ピラミッドはこれを6段に積み上げた形式で,最古とされる。ピラミッドは第3王朝(前2800年ころ)から第17王朝(前1600年ころ)に建設されたものと,はるか後代にスーダンに建設されたものと計60余を数える。ギーザにある三大ピラミッドは有名。エジプトのピラミッド地帯は1979年世界文化遺産に登録された。なおメソアメリカにもピラミッドが見られる。
→関連項目エジプト(地域)世界遺産条約七不思議ピートリー墳墓マスペロ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピラミッド」の解説

ピラミッド
pyramid

古代エジプトの石造建築物。墓として建てられたと考えられている。ベンチ状の墳墓マスタバを原型とし,第3王朝のジェセルがサッカーラに階段状ピラミッドを築いたのが嚆矢(こうし)である。ギザには正四面体を呈し,四面を東西南北に向けた第4王朝の大ピラミッドが三つ建てられている。上部構造と,岩をくり抜いてつくられた地下の施設とからなる。中王国時代に至るまで建てられたが,スーダンのメロエでは4世紀頃まで建造された。なお,これとは別に,マヤ文明アステカ文明にも,同様の形状の石造建築があり,宗教行事に用いられたらしいが,近年そこから王族の埋葬が続々と発見されており,墓としての機能もあったことが強調されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピラミッド」の解説

ピラミッド
pyramid

古代エジプトの王または王族の墓といわれる石造建築物
石造方錐形をなし,ミイラを安置する石室はふつう地下に設置。多くは古王国の首都メンフィス付近,ナイル川西岸の石灰岩台地上に建てられ,これに付属して祭殿・谷寺とこれをつなぐ回廊があった。古王国の第3〜第4王朝時代に盛んに造られ,第5王朝以後衰えたが,新王国末まで小規模に造られた。ギゼーにある第4王朝のクフ・カフラー・メンカウラー王の三大ピラミッドが有名。クフ王のものが最大で,高さ約147m,底辺約230m,石塊数約230万個といわれる。

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世界遺産情報 「ピラミッド」の解説

ピラミッド

世界7不思議の一つとなる巨大な遺跡、ピラミッド。少なく見積もっても紀元前2,500年以上のものといわれています。人の力だけで創られていますが、あの大きな重い石をどのように積み上げたり運んだりしたのかそれさえも謎になっています。初期は小石を積んだ古墳でしたが、徐々に大きくなり、あの独特な形も人間が再生するのを助ける力があるとして、王墓であると考えられてきました。しかし後世のピラミッドからは遺体は出てこなく、近年は異なる説も出てきて、今もなお史上最大級の謎の建物なのです。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ピラミッド」の解説

ピラミッド

ザ・モダン・ジャズ・カルテットの1959~1960年録音のジャズ・アルバム。アトランティック・レーベル。モダン・スタイルのジャズ・コンボ、ザ・モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の中期を代表する作品。原題《PYAMID》。

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世界大百科事典(旧版)内のピラミッドの言及

【エジプト】より

…州は守護神を共同信仰する共同体あるいは部族国家を原型とすると思われるが,初期王朝時代に整備された貯溜式灌漑水路網の一単位に相当し,それぞれが公儀宗教に組み込まれた州の守護神をもつ。王は天の神ホルスの化身,第4王朝初頭では太陽神そのもの,第5王朝以降は太陽神ラーの子として統治し,死後は冥界の支配者オシリス神として永遠に支配するとされ,これにふさわしい墓所として壮大なピラミッドが造営された。このため古王国時代は〈ピラミッド時代〉とも呼ばれる。…

【エジプト美術】より

…まず抽象的形態への強い指向があり,ある理念を単純な幾何学形態に託することが珍しくない。その最も代表的な例が正四角錐(横から見れば三角形)の形をとるピラミッドである。また,大きな特色として,形態の記号化,象徴化が挙げられる。…

【サッカラ】より

…東西0.8~1.8km,南北7~8kmの範囲に墓地群が展開し,南北2地域に大別される。北地域の中心は最古のピラミッドである第3王朝ジェセル王の階段ピラミッドである。このピラミッドは初めマスタバとして計画されたが,6度に及ぶ変更の後,6段の階段ピラミッドとなった。…

【石造建築】より

…たとえば,インドでは前2世紀ころから木造から石造への移行が認められ,ストゥーパや石窟仏教寺院の建造がさかんになるが,本格的な石造建築が発展するのは,7世紀以降のヒンドゥー教およびジャイナ教の建築からで,雄大魁偉なシカラ,複雑精妙な彫刻装飾を特色としている(ヒンドゥー教美術寺院建築)。またメキシコおよび中央アメリカのマヤ文明では,4世紀から9世紀まで,壮大なピラミッド神殿を含む多数の石造建築が建てられ,12~15世紀のアステカ文明も類似のピラミッド型石造神殿を発展させた。建築用石材として用いられる石は,主として石灰岩,砂岩,凝灰岩,花コウ岩で,まれに安山岩なども用いられる。…

【帝王陵】より

…それでは,どれだけの規模をもつ大きな墓を帝王陵として選別することができるだろうか。一般に帝王陵として話題にされる機会が多いにもかかわらず,大ピラミッドなどの代表的な例を除くと,帝王陵そのものの調査がほとんど行われていないために,むずかしい問題である。その墓が建設された時代の前後の時代に,どのような規模の墓が造営されたかということと関連し,統一国家にもさまざまな段階があって,領域の広さなどを画一的に決めることはほとんど不可能だからである。…

【土木技術】より

…古代以来技術の中心は土木技術であったといっても過言ではなく,土木技術はしばしば〈技術の中の技術〉とまでいわれる。 古代の土木技術の成果が今日残っているものの代表としてはピラミッドがまずあげられる。カイロ郊外のギーザにあるピラミッドはとくに有名であるが,これの詳しい築造法はまだわかっていない。…

【七不思議】より

…【宮田 登】
[古代西洋の七不思議]
 ギリシア語ではHepta Theamataといい,前3世紀ころ以来,ヘレニズム世界中から選び出された七つの巨大で美しい建造物を指す。普通には,エジプトのピラミッド,バビロンの城壁,同じくバビロンの空中庭園,フェイディアス作のオリュンピアのゼウス像,ハリカルナッソスのマウソレイオン(マウソレウム),エフェソスのアルテミス神殿,ロドス島の太陽神の青銅巨像が挙げられる。これらのうち若干は,アレクサンドリアのファロス島の灯台,エピダウロスのアスクレピオス像などと入れ替えられることがある。…

【比例】より

…またエジプトなどでは,建築の配置や立面の決定にあたって,こうした数値を基にした〈基準格子〉が用いられていたことも知られている。宇宙観とのさらに直接的なかかわり方としては,ピラミッド斜面の角度が星の位置との関係で定められたとか,ジッグラトの階段高さが,ある惑星の見かけの往復運動を象徴しているといった例も見られる。 これら抽象的・象徴的比例観に対し,古代ギリシア人は比例を形態美の源泉とみなし,生物的形態,とりわけ人体が,もっともよく宇宙的調和を体現した比例をもつものとして,それを建築にあてはめた。…

※「ピラミッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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