ファム・バン・ドン(読み)ファムバンドン(その他表記)Pham Van Dong

百科事典マイペディア 「ファム・バン・ドン」の意味・わかりやすい解説

ファム・バン・ドン

ベトナム社会主義共和国首相ベトナム共産党の最高指導者の一人。中部のギアビン省で高級官吏の子として生まれる。フエの名門校を経てハノイの大学へ。在学中の1925年,学生ストライキを指導して官憲に追われ,広東に逃れた。そこでホー・チ・ミンと会い,彼の設立したベトナム青年革命同志会(ベトナム共産党の前身)に加盟。1926年の帰国後,教師を務めるかたわら,組織作りや宣伝工作に従事し,逮捕されて1929年−1936年重労働の刑に服した。1941年,フランスと日本に対する民族解放の戦いのため,ホー・チ・ミンとともに統一戦線ベトミンを組織し,1945年8月15日日本軍が降伏するや,バオダイ帝の政府を解体してベトナム民主共和国を設立。以後一貫して党と政府の要職歴任,1955年以来首相を務め,1976年ベトナム社会主義共和国が成立すると初代の首相になった。1987年引退。

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改訂新版 世界大百科事典 「ファム・バン・ドン」の意味・わかりやすい解説

ファム・バン・ドン
Pham Van Dong
生没年:1906-2000

ベトナム共産党最高指導者の一人で,ベトナム社会主義共和国の首相。ベトナム中部のギアビン省に高級官吏の子として生まれる。フエの名門校クオックホクを経て,ハノイでフランス植民地教育を受けたのち,1925年広東に赴きホー・チ・ミンと合流。ホーの設立したベトナム青年革命同志会(ベトナム共産党の前身)に参加し,以来革命運動に挺身する。45年の8月革命後は一貫して党,政府の要職にあり,党内では,51年2月の第2回全国代表大会以来,第5回大会(1982年3月)まで連続4回政治局員に選出され,また政府内でも55年9月以来首相を務め,87年退任。
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