ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファルツ戦争」の意味・わかりやすい解説
ファルツ戦争
ファルツせんそう
Pfälzischer Erbfolgekrieg; War of League of Augsburg
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…これが戦争の発端である。
[ボヘミア・ファルツ戦争(1618‐23)]
ボヘミアの反乱軍にはオーストリアの新教徒も味方して蜂起し,トランシルバニア(ジーベンビュルゲン)侯も皇帝に反旗をひるがえして,反乱はボヘミア外にも拡大したが,その渦中の1619年に皇帝マティアスが死亡して,フェルディナント2世が皇帝位につくと,ボヘミア議会はフェルディナントのボヘミア王位を取り消して,新教連合の指導者ファルツ選帝侯フリードリヒ5世を国王に選んだ。このため戦争のドイツ全域への波及は不可避の形勢となったが,フリードリヒ5世がカルバン派であったことが災いして,多くの新教派諸侯の援助をうることができず,当時スペイン接近をはかっていた義父のイギリス王ジェームズ1世も動かなかった。…
…その間宗教改革が行われて新教が導入され,ファルツ選帝侯は一時期新教陣営で力をもったが,三十年戦争のはじめボヘミア国王に選ばれたファルツ選帝侯フリードリヒ5世(冬王)(在位1610‐23)がビーラー・ホラの戦(1620)で神聖ローマ皇帝軍に敗れ,ファルツからヨーロッパ的権力が生まれる道は閉ざされた。1688‐97年ファルツ戦争でフランスのルイ14世の侵攻を受け,ファルツの国土は荒廃する。フランス革命とナポレオンの時代,ライン左岸のファルツはフランス領となり,右岸のファルツは近隣諸国に併合された。…
※「ファルツ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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