イギリスの思想家。主著《パトリアーカ(家父長制論)》(1630年代末執筆,1680公刊)。ピューリタン革命のときには積極的な政治活動をしていないが,革命前から国王の絶対権を主張していたので王党派とみなされ,1643年に投獄,47年までには釈放されていた。《パトリアーカ》は国王の権力が絶対的であることを論証しようとしたもので,そのために,神がアダムに全世界と全人類に対する絶対的支配権を与えたということ,そしてこの支配権はその子孫に伝えられ,国王に受け継がれていること,を聖書によりながら主張した。彼が念頭においていたのは,支配権の起源を人民の同意から説明しようとした社会契約論と,イギリスの王権は慣習法,伝統,議会の協賛などによって制限されているとする制限王政論とであり,これを論破することが彼のねらいであった。《パトリアーカ》のほかに《制限または混合王政の無政府性》(1648)や,ホッブズ,ミルトンらの社会契約論を批判した《統治の起源に関する考察》(1652)などの著作もある。制限王政論のもつ主権概念のあいまいさをついた点では,フィルマーの功績は認められるが,王権を神授のものとし,家父長の支配権から説明しようとした理論は,当時においてもあまり広く受け入れられず,後にロックの《統治二論》(1689)で批判されたことによりむしろ有名となったといえよう。
執筆者:浜林 正夫
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1588頃~1653
イングランドの政治思想家。遺稿『家父長権論』(1680年)などにより,王の絶対的支配権を人類の祖アダムに由来する家父長権として擁護し,王権神授説を説いたが,その説はロックの『統治二論』によって批判された。
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