フェニキア(英語表記)Phoenicia

翻訳|Phoenicia

デジタル大辞泉 「フェニキア」の意味・読み・例文・類語

フェニキア(Phoenicia)

現在のシリア・レバノン沿岸付近にフェニキア人が建てた都市国家群の総称。前8世紀以降、ギリシャの台頭によって衰退し、前64年、ローマに併合された。

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精選版 日本国語大辞典 「フェニキア」の意味・読み・例文・類語

フェニキア

  1. ( Phoenicia ) セム族の一派フェニキア人が、紀元前一五〇〇年頃からシリア地方の地中海沿岸地域に建てた都市国家群の総称。主な都市国家はシドン、ビブロス、テュロス。紀元前八世紀以降は政治的独立を失い、前四世紀にマケドニアに敗れ、前一世紀にはローマに併合された。そのアルファベットギリシア人が採用。

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改訂新版 世界大百科事典 「フェニキア」の意味・わかりやすい解説

フェニキア
Phoenicia

地中海東岸の一地方に対する古代名。南北方向にタルトゥースからカルメル山までの約320km,東西方向には海岸から東へ約20kmの細長い地帯をなし,最高地点は標高約300mである。古代地理上シリアの一部をなし,南にはパレスティナ,東にはヨルダン地峡,北にはオロンテス川流域の平野部がある。地中海式気候を示し,夏を中心とする乾季には高温寡雨であるが,冬季には西アジアの一部としては比較的湿潤である。

 住民は古代末までにきわめて混交した状態になり,知られる最古の住民は,北西セム語族のカナン人であるが,この地に到来した時期は不明である。旧約聖書中のカナン人の語源は,前14世紀の〈アマルナ文書〉などにみえるキナフKinaḫḫuであると考えられ,これは〈深紅色〉または〈赤銅色〉を意味し,この地方特産の染料の色,もしくは住民の肌の色に由来するとされる。フェニキア人という名称はギリシア語フォイニケスPhoinikes(ラテン語では主としてカルタゴ人を意味するポエニPoeni)であり,その意味はキナフと同様である。ギリシア人の伝説によると,テュロス王アゲノルAgēnōrの子の一人にフォイニクスPhoinixがい,そこからフェニキアという地名が起こったとされる。

考古史料によると,カルメル山の山腹の洞窟には旧石器時代後半からナトゥフ時代(ナトゥフ文化)にかけて狩猟民が住み,しだいに原始的な定住と農耕に向かいつつあった。その後,前5000年以後になると,ビュブロスウガリトには有土器新石器時代の痕跡が残されている。初期青銅器時代(前3千年紀)になると,ビュブロスが都市として現れる。エジプト第4王朝のスネフルは40隻の船をこの市に送り,木材を得た。また,アッカド帝国のサルゴンもここに遠征したと伝えられる。中期青銅器時代(前2千年紀前半)に入ると,ビュブロスに土着の王朝が成立し,王墓や神殿を残している。

 後期青銅器時代(前1500-前1200)には,ビュブロスのほかにウガリトが都市国家として栄えた。その国制,交易,文化については,この市の出土物や〈ウガリト文書〉によって知ることができる。そこはすでに混交した人口構成を示す国際都市であり,西アジアとギリシア世界(本土,エーゲ海域,クレタ島)との経済的・文化的交流の最初の拠点となった。とりわけウガリトでは,楔形文字を利用した世界最古の実用的アルファベットが発明された。上述のテュロス王アゲノルの別の息子カドモスがギリシアのテーバイにいたり,文字を伝えたという伝説の背景はこの頃のことと思われる(1964年のテーバイにおけるメソポタミア製円筒印章群の出土はこれを裏づける)。

後期青銅器時代のフェニキアは,総じてエジプト第18,19王朝の支配下にあり,諸都市はその臣従国であったが,前1200年ころ〈海の民〉の到来とともにエジプトの支配権は失われ,カナンには〈海の民〉のほか,アラム人やヘブライ人が入植した。フェニキアでは土着カナン人の勢力が存続し,アラム人,ヘブライ人,ギリシア人の発展とともに,植民,交易,航海によって新たな発展期を迎えた。まず,前代に繁栄したビュブロスやウガリトに代わって,アラドゥスAradus(アルワドArwad),テュロス(聖書ではツロ),シドンなどの都市が現れた。ホメロスの作品には,シドンのみがみられるが,前750年ころまでのフェニキアの中心都市はテュロスであった。

 その頃のフェニキア人はカナン人の工芸(金属・象牙細工,船大工術,建築),航海術,交易の継承者として,一方では地中海を中心とする海上に,他方ではアラム人やヘブライ人のような新興民族の領土に勢力を伸ばした。海上では,ギリシア人に先駆けて前9世紀までに地中海沿岸(北アフリカ,イベリア半島サルディニアなどの島々)に広く植民し,各地に交易拠点を築いた。とりわけ前814年と伝えられるカルタゴ建設は,その後の地中海世界の歴史に甚大な影響を及ぼした。フェニキア人の艦隊は大西洋や紅海にも進出したが,彼らの海外活動の中心は交易にあり,土地の入手と耕作が直接の目的でなかった点はギリシア人の植民と異なる。陸上においては,アラム人がラクダを使って確立した隊商交易と接合し,オリエント世界経済界の西方への窓口となった。また,ヘブライ人を媒介として南アラビアとも通商関係をもった。

 他方,フェニキア人は高度な建築や工芸の技術を使って,ヘブライ人やアラム人の首都(エルサレムサマリア,ダマスクス)の王宮や神殿の建設に協力した。フェニキア職人の手になる王宮家具やその象牙板装飾,文様を彫り込まれた金属製の鉢などが各地から出土している。このような関係を示す最も有名な例は,旧約聖書中のソロモンとテュロス王ヒラム(アヒラム)の交渉,あるいはサマリアのアハブの〈象牙の家〉である。テュロスとヘブライ人王朝の間には婚姻関係もあり,それを通じてフェニキアの伝統的宗教であるバアル崇拝も流布した。また,前12世紀ころから使われたとみられる新しいアルファベットは,前代の楔形文字によるものとは異なり,より簡略な文字体系として画期的なものであり,すぐにアラム人やヘブライ人に採用されたうえ,ギリシア語のアルファベットを経て現在のアルファベットへと進化した。

前8世紀になると,シリアはアッシリア帝国に侵略され,フェニキア諸都市も包囲攻撃を受け,貢税した。このことはアッシリアの王宮壁面浮彫や碑文によって知られる。前680年にはエサルハドンによってシドンが占領され,前574年には新バビロニア帝国のネブカドネザルによってテュロスが破壊された。前539年には,フェニキアはペルシア帝国の属州となった。この時代以後のフェニキア都市の中心はシドンであり,ペルシアに艦隊を提供し,ペルシア海軍の主力となり,ペルシア戦争にも参加した。他方,内政上は自治を許され,王政の下に交易活動を盛んに行った。シドンの人たちはギリシアの産物(ブドウ酒や土器)をオリエントに伝え,奴隷貿易を盛んに行った。

 アレクサンドロス大王はイッソスの戦の後,フェニキアを征服した(前333)。彼の目的の一つはギリシアに対するフェニキア海軍の脅威を断つことであった。そのときテュロス市民は出島にこもって徹底的に戦い,壊滅的打撃を受けたが,アラドゥス,ビュブロス,シドンは早くから降伏した。ヘレニズム時代のフェニキアの中心都市はシドンであった。彼らは依然として商人として活動し,セレウコス朝シリアやローマの支配下で自治を認められ,外国の都市にも居留区を設けて交易に従事した。例えば,デロス島やパレスティナのマリサやシケムにそのような痕跡が残っている。

 ローマ時代になると,前代からの染色産業と並んで,海岸のケイ素分の多い砂を原料とするガラス産業が発達し,とりわけ吹きガラスの技術はこのころシドンで発明されたとされる。ユスティニアヌス帝時代には中国から蚕が導入され,絹の生産が始まった。また,ローマ時代のフェニキア都市には学芸も発達し,ベリュトゥスBerytus(現,ベイルート)には有名な法律学校があった。それらの都市にキリスト教が伝播したのは,1世紀中葉のことであった。612年にはササン朝ペルシアの軍隊によって略奪され,それから約20年後には,イスラム軍によって征服された。
カルタゴ →シリア
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フェニキアの美術は,同地域を取り囲むメソポタミア,エジプト,エーゲ海に興った先進文明の影響を受けて,複合的な性格をとるようになった。

フェニキアの文明は,前3000年ころには新石器時代を経てすでに金石併用時代を終わろうとしていた。新石器時代の遺物には,骨製品,黒曜石・火打石製の石器類がある。金石併用時代には青銅製の小品も現れた。興味深いのは土器で,メソポタミアやテッサリアの同時代のものと類似する様式のものがあり,他地方の文化の輸入はきわめて古い時代に始まったことがわかる。

前3000年ころから前2100年ころまでが初期青銅器時代で,ウガリトやゲバルGebal(グブラGubla。ギリシア名ビュブロスによって知られる)などの都市が栄えた。後者の女神神殿の跡からは,エジプト古王国時代のファラオの奉納物とともに,フェニキア製と思われる青銅製・骨製の小像,黒曜石の壺などが出土している。これらの遺品によって,当時のフェニキアに対するエジプトの支配権の強大さがうかがわれる。

前1550年ころ以前が中期青銅器時代であり,その後,前1100年ころまでが同後期にあたる。それ以後が鉄器時代である。前2千年紀の初めころから,ウガリトは海陸交通の要地としてますます重要性を加え,前14世紀半ばころに一時地震による打撃を受けたこともあるが,前12世紀の末〈海の民〉の侵入によって壊滅するまで繁栄を続けた。フェニキアの建築の様相は,ウガリトの発掘によって明らかになったところが多い。町の入口は,トロイアやミュケナイを思わせるような城塞風に造られていた。墳墓は住宅の地下に営まれ,方形または長方形のプランの小室で,天井は平らな石をのせて造られていたが,時代の下るものは,階段のある羨道と,半円アーチのある入口と,持出しボールトのある玄室とから成っていた。ウガリトの神殿では古いダガン神殿と新しいパアル神殿とが重要で,そのプランは,厚い壁で二つの長方形の中庭を囲み,大きい中庭には階段をつけた祭壇が造られていた。

 彫刻にはあまり優れた作品が残っていない。ウガリト出土のパアル神を浮彫で表した碑石(前14世紀)は,フルリやアッシリアの影響を示しているが,アムリトAmrit出土の類似の碑石は,北方の影響とともにエジプトのそれをも加えている。小型の金属像はフルリ的である。世界最初のアルファベットによる銘文をもつことで有名な,ビュブロス出土のヒラム王(前13世紀)の石棺は,蓋と側面に浮彫をつけているが,その様式には,エジプトとアッシリアとの影響が見いだされる。小芸術にも各地方の様式の折衷が試みられている。著しい遺物として,前14~前13世紀に作られた黄金製のパテラ(小さな皿状の杯,平爵)の類があり,なかでもウガリト出土の前13世紀のものには,戦車による狩猟の浮彫の図があるが,戦車や動物の描写はエーゲ的である。この種のパテラは,同時代およびそれ以後,前1千年紀にかけて,広くメソポタミアや地中海沿岸地方で作られたパテラに大きな影響を与えた。象牙彫の例には同じくウガリト出土のピュクシス(円形の箱)の蓋があって,その豊饒の女神の像はエーゲ風の衣装をつけている。

建築の例としては,アムリトやシドンに神殿の跡が発掘されており,ときとして単石で造られていた神祠が,柱廊をめぐらした大きな中庭の中央に置かれていた。シドンの宮殿跡から出土した柱頭は,雄牛の前半身を背合せにしたペルシア風の形をとっている。彫刻の遺品としては石棺がある。これには人体形のものと,いわゆる〈アレクサンドロスの石棺〉のような箱形あるいは家屋形のものとの2種があるが,前者はさらに,エジプトのオシリス神の形をとったものと,ギリシア風の容姿のものとに大別できる。時代的にはエジプト風のものが古い。アレクサンドロス大王以後の時代には,フェニキアの美術はギリシア美術の影響をますます強く受けるようになったが,さらにローマ属領時代になると,オリエント的性格をいくぶん残した〈グレコ・ロマン様式〉ともいうべきものになった。
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百科事典マイペディア 「フェニキア」の意味・わかりやすい解説

フェニキア

古代オリエントの商業・航海民族,またシリアの地中海東岸部の古称。ヘブライ人と同じセム族に属し,シリア沿岸に都市連合国家を作った。前15世紀ごろにはウガリトビュブロスなどを中心にオリエント文明とエーゲ文明との混合文化が繁栄,この間に数種のアルファベットが考案された。前12世紀ごろ,中心はテュロスシドンに移り,イベリア半島にガデス,北アフリカにカルタゴを建設。前7世紀ごろまで地中海貿易を支配,オリエント文明とアルファベットとを西方に伝えた。本国諸都市は前8世紀にアッシリア,次いでペルシアに征服されたが,引き続きそれぞれの海軍の主力として活躍。
→関連項目イビサ[島]カディスガラス工芸サブラータの古代遺跡スーススペインティールフェニキア語ポルトガルマルタモナコ(国)レプティス・マグナの古代遺跡

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旺文社世界史事典 三訂版 「フェニキア」の解説

フェニキア
Phoenicia

シリアの地中海沿岸の中部の土地と住民の総称
語源は,ギリシア語の「棕櫚 (しゆろ) の国」を意味するフォイニキア(phoinikia)またはフェニキア人のまとった真紅 (しんく) の外套 (がいとう) の色を意味するフォイノス(phoinos)に由来するという。フェニキア人はシリア系の西セム語族で,前2000年紀から地中海の交易に活躍し,都市国家シドン・ティルスや植民市カルタゴなどを建設した。彼らはオリエント諸族の文字を学び,それを独自の22の子音からなるフェニキア文字に改良してギリシアに伝えたが,これは今日のアルファベットの起源となった。前8世紀にアッシリアに征服されて以後,新バビロニア王国・アケメネス朝の支配をへて,アレクサンドロス大王の遠征でヘレニズム世界に組み入れられた。

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世界大百科事典(旧版)内のフェニキアの言及

【フォイニクス】より

…慣用ではフェニックスPhoenix。(1)フェニキア王アゲノルAgēnōrの子。ゼウスにさらわれた妹エウロペの捜索を父王に命じられ,兄弟のカドモスらとあてのない旅に出たが,ついに見つけられなかったため故国には帰らず,シドン(またはテュロス)に定住して王となった。…

※「フェニキア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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