フェリペ5世(読み)フェリペごせい(英語表記)Felipe V

改訂新版 世界大百科事典 「フェリペ5世」の意味・わかりやすい解説

フェリペ[5世]
Felipe Ⅴ
生没年:1683-1746

スペイン,ブルボン朝の初代国王在位1700-24,24-46年。フランス王ルイ14世の孫。アンジュー公。1724年息子ルイスに譲位するが,彼の死で復位した。1701年マリア・ルイサ・デ・サボヤと結婚,14年イサベル・ファルネシオ・デ・パルマ再婚。ハプスブルク朝最後のスペイン王カルロス2世の遺言に基づいて即位したが,カール大公を擁立するオーストリアは,イギリス,オランダを抱きこんでこれに反対。フランスを味方につけたスペインとの王位継承戦争(1701-13)へと発展する。彼の即位は,こうしてヨーロッパの覇権をめぐる国際戦争をひき起こし,同時に国内戦争にも火をつけた。すなわち,新王のフランス的中央集権化政策およびヨーロッパにおけるスペイン領土の保持を支持するカスティリャ地方と,大公側につき地方的特権,自治を堅持しようとするカタルニャ地方との戦いである。国際戦争は1713年のユトレヒト条約終結。フェリペ5世は在位を認められるが,列強を前にメノルカ島,ジブラルタル,ヨーロッパ大陸における領土を失った。国内戦は1707,10両年にカスティリャ側が大勝し,14年まで続いて終結。カタルニャなどオーストリア側についた諸地方の特権は縮小され,中央集権化政策に弾みをつけた。国王は軍事・行政各方面の改革着手経済回復にも力を注いでスペイン社会を活性化し,文化面では啓蒙主義影響を受け,アカデミーや王立図書館を創設した。
スペイン継承戦争
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェリペ5世」の意味・わかりやすい解説

フェリペ5世
フェリペごせい
Felipe V

[生]1683.12.19. ベルサイユ
[没]1746.7.9. マドリード
スペイン王 (在位 1700~24,24~46) 。フランス王ルイ 14世の孫でスペインのブルボン王家の開祖。フランスに生れアンジュー公フィリップとして育ったが,ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世に王位を遺贈され,これによりスペイン継承戦争 (01~14) が起った。しかし王妃サボイアのマリア・ルイザの援助でスペインの人心掌握ユトレヒト条約により,ネーデルラント,イタリア領などを失ったが,王位を確保した。またフランスの王位も継承しようとして女王を認めない『サリカ法典』を採用 (13) ,のちのカルリスタ戦争の原因をつくった。マリア・ルイザの死後再婚したパルマのイサベル・ファルネセの影響で,ナポリ,シチリア,パルマなどを奪還。フランスにならって税制改革,商工業の振興,宮殿の増改築,科学アカデミー創立などを行なった。 1724年に息子のルイス1世に譲位したが,新王は数ヵ月後に没し,再び王位についた。 30年代以降狂気に悩まされ,国政はほとんど王妃により進められた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フェリペ5世」の解説

フェリペ5世(フェリペごせい)
Felipe V

1683~1746(在位1700~24,24~46)

スペイン・ブルボン朝初代の王。ルイ14世の孫。カルロス2世の遺言により1700年即位。スペイン継承戦争を引き起こしたが,ユトレヒト条約で王位を承認された。新組織王令により,スペインの政治的・法的一元化を達成。

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367日誕生日大事典 「フェリペ5世」の解説

フェリペ5世

生年月日:1683年12月19日
スペイン王(在位1700〜24,24〜46)
1746年没

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世界大百科事典(旧版)内のフェリペ5世の言及

【スペイン】より

…このような状況の母体となったスペインの自然および17世紀までの歴史については〈イベリア半島〉〈スペイン帝国〉などの項を,また日本との関係については〈南蛮貿易〉などの項を参照されたい。
〔歴史〕

【18世紀スペイン】
 現代スペインの起源は,カスティリャ国王フェリペ4世(在位1621‐65)の寵臣オリバレス伯公爵の次の言葉に集約できる。〈陛下,ポルトガル王国ならびにアラゴン王国,バレンシア王国,バルセロナ伯国の国王であられるだけではなく,“スペインの国王”として君臨されてこそ満足すべきでありましょう〉。…

【スペイン継承戦争】より

…スペインにおけるハプスブルク朝(ハプスブルク家)の断絶にともない,その王位と領土の継承をめぐって,フランスとイギリス,オランダ,オーストリアなど対仏連合諸国との間で行われた戦争(1701‐14)。1700年の秋に病身で嗣子のないカルロス2世が没すると,遺言によりスペインの全領土は,フランス王ルイ14世(第1王妃がスペイン王女であった)の孫フィリップ(フェリペ5世)に譲られた。オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルド1世(在位1657‐1705)はこれを認めず,直ちにフランスと国交断絶したが,この遺贈にはフィリップがフランス王位への要求権をいっさい放棄するという条件がついていたので,かねがねスペイン領土の継承に関心をもっていたイギリスとオランダは,当面これを黙認する態度をとった。…

【スペイン法】より

…フェルナンドとイサベルの婚姻は形式的には統一スペインを誕生させたが,実質的には旧アラゴン連合王国内の諸地域の自治を残した連邦国を成立させたにとどまり,当然のこととして法も中世末期のままに存置された。 スペイン法が全体として統一に向かって大きく前進するのは,18世紀初頭のフェリペ5世の政策によってである。スペイン継承戦争に際して敵側のカール陣営支持にまわった旧アラゴン連合王国に対する制裁として,その政治的自治を剝奪しカスティリャに同化させる政策がとられた。…

【ブルボン家】より

…しかし,第2帝政崩壊後の1871年の好機にもシャルル10世の孫シャンボール伯がオルレアン派との連合に失敗し,そのもくろみは果たせなかった。 スペインでは,フェリペ4世の長女マリア・テレジアがルイ14世の妃であったところから,ルイ14世の孫アンジュー公フィリップが王位継承権を得,ハプスブルク家出身の最後のスペイン国王カルロス2世が没すると,フェリペ5世として1700年に即位し,ブルボン朝を開いた。このブルボン王政は,ナポレオンの占領,2次にわたる共和政,フランコ独裁などにより何度か中断されながらも,現在まで続いている。…

※「フェリペ5世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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