フェルディナント[2世]【Ferdinand II】
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世界大百科事典内のフェルディナント[2世]の言及
【三十年戦争】より
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[発端]
ドイツでは1555年のアウクスブルクの宗教和議後まもなく新教派(プロテスタント)と旧教派(カトリック)の対立が再燃し,1608年新教派諸侯が新教連合(ウニオン)を,翌年には旧教派諸侯が旧教連盟(リガ)を結成して対抗していたが,戦争の直接の発火点となったのはボヘミアであった。ボヘミアはフス派戦争以来政治的にも宗教的にも独立的な傾向が強く,貴族たちは皇帝ルドルフ2世治下の09年以来信仰の自由を承認されていたが,17年フェルディナント(のちの皇帝フェルディナント2世)がボヘミア王位につくと,新教派の弾圧に乗り出した。それは反宗教改革(対抗宗教改革)と一体となったハプスブルク家のボヘミア支配強化政策の表れであったが,それに憤激したボヘミアの新教貴族の一行が国王の側近をプラハ王宮の窓から突き落とし,つづいて武装反乱に立ち上がった。…
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