フランスの思想家。ルーアン生まれ。大悲劇作家ピエール・コルネイユと、その弟の劇作家トーマ・コルネイユの甥(おい)。初めトーマの影響でいくつか劇作を書いた。彼が脚光を浴びるのは『死者たちとの対話』Dialogues des morts(1683)からで、この作品には、のちに彼が得意とするしゃれた文体で科学思想の普及を説く萌芽(ほうが)がみられる。彼の傑作と目されるのは、1686年に発表した『世界の多数性についての問答』Entretiens sur la pluralité des mondesと、続いて世に問うた『神託の歴史』Histoire des oracles(1687)の2作である。前者においては社交界の貴夫人を相手に洗練された対話でコペルニクスの真理を語り、後者では奇跡を退け、科学の進歩を説いた。いわゆる「新旧論争」では近代派にくみし、1697年に科学アカデミー会員に選ばれてからは終身書記を務め、自由思想家(リベルタン)と百科全書派(アンシクロペディスト)との橋渡し的役割を果たした。まれな長寿を全うした人としても知られる。
[市川慎一 2015年6月17日]
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…広くは考え方と生き方において,宗教的権威から自由であろうとする者をいい,この意味ではエピクロスやルクレティウスなど,古代ギリシア・ローマの哲学者から18世紀の啓蒙思想家たち,さらには19世紀フランスのコント,ルナンなどや19世紀ドイツのフォイエルバハ,D.F.シュトラウス,マルクスなどをも自由思想家に数えることができる。しかし通常は,特に17世紀フランスの〈リベルタンlibertin〉と17世紀末,18世紀初めのイギリスの〈フリー・シンカーfree thinker〉を指すことが多い。…
※「フォントネル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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