現代哲学の主流の一つをなす現象学を確立した哲学者。オーストリア出身のユダヤ系ドイツ人で、1886年にユダヤ教から福音(ふくいん)派キリスト教に改宗した。学生時代はおもにベルリン大学のワイアシュトラース、クロネッカー両教授のもとで数学を専攻し、1883年1月に数学の論文でウィーン大学の博士号を取得した。その後1884年の冬学期から2年間、ウィーン大学のブレンターノのもとで哲学を学び、その影響により哲学研究をライフワークに選んだ。1886年の秋から、ブレンターノの高弟でハレ大学教授のC・シュトゥンプのもとで心理学や論理学の研究を継続し、1887年の秋に哲学担当の大学教官資格を授与された。これ以後、フッサールは、1901年までハレ大学の私講師、同年から1916年までゲッティンゲン大学の助教授および教授、そして1916年から1928年まではフライブルク大学教授を歴任し、退官後もフライブルクで研究に専念した。
[立松弘孝 2018年10月19日]
生前の著作としては、ブレンターノから学んだ記述心理学的な立場で基数概念の成立過程などを分析した『算術の哲学』(1891)、最初の現象学的労作である『論理学研究』全2巻(1900~1901)、相対主義的諸哲学を批判した『厳密な学としての哲学』(1911)、壮年期の思想的結晶を示す『純粋現象学と現象学的哲学のための諸考想』(通称『イデーン』)第1巻(1913)、フッサールの講義録をもとにハイデッガーが編集公刊した『内的時間意識の現象学』(1928)、論理学的理性の批判を試みた『形式論理学と超越論的論理学』(1929)、相互主観性の問題領域などを詳述した『デカルト的省察』(フランス語版、1931)、歴史哲学的な考察を行うとともに、科学の成立基盤としての生活世界の役割などを主題化した最後の著述『ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学』(1936、未完)などがある。しかしこれらの著書以外に、さらに約4万5000ページもの膨大な遺稿があるため、1950年以降それらをもとに著作集『フッサリアーナ』の編集出版が継続され(2009年に第40巻が公刊された)、いまなお次々に新しい研究テーマを提供している。
[立松弘孝 2018年10月19日]
フッサールが解明しようとした哲学的諸問題は、現象学にとってもっとも重要な「意識の志向性」の概念によって組成されている。すなわち志向性とは「自我は意識される対象を意識する」という意識体験の構造を表す概念である。それゆえ現象学の研究領域は、意識作用(=ノエシス)の機能についての認識論的研究と、ノエシスの志向的相関者(=ノエマ)たる諸対象の根元的なあり方についての存在論的考察と、認識や行為の主体としての自我の自己省察の、これら三つの分野を包摂しており、しかもこれらの諸問題をあくまでも相関的に考察する点に最大の特徴がある。ヨーロッパ諸科学の危機は自然科学的客観主義と哲学的主観主義の離反に由来すると考えていたフッサールは、自我の意識生活と対象的世界との相関関係を解明することによって、学問の新たな基礎づけを行うとともに、人間にとっての学問の意義を再確認しようとしたのである。これら一連の諸研究が現象学とよばれる理由は、自分自身の意識体験を反省的に直観することによって、その反省のまなざしに現れてくる意識作用と対象の諸現象を、予断を交えず忠実に記述しようとするからである。
このような反省的直観による記述は現象学にとって基本的な方法の一つであるが、しかしこのような考察態度をとることはけっして容易ではない。なぜなら自然科学者も含めて通常人々は、素朴な客観主義的態度で外界の諸事物にのみ関心を向け、しかも主観にとって超越的なそれら諸事物があたかも主観の意識作用とは無関係に独自に存在しているかのようにみなしているからである。しかるに、超越的客観の諸性質や実在がいかにして認識されうるのかという問題を、ノエシスとノエマの志向的関係という観点から究明するのが、まさに「超越論的」現象学の第一の課題である。それゆえ客観主義の習性を打破して現象学的反省を遂行するためには、客観的世界についての無反省的な実在定立を一時停止して、考察のまなざしを自己の意識体験の内在領域へ反転させなければならない。現象学固有の研究領域を開示するのに不可欠なこの方法が現象学的または超越論的還元であり、この還元の結果、諸対象とその世界はもはやそれ自体として存在する超越的客観とはみなされず、まさにノエマ的存在者として、認識主観によってそれぞれの存在の意味を与えられた存在者であることが解明される。そしてこれに伴って志向性の概念も、ただ単に対象に関係し、対象を思念する働きにとどまらず、対象に意味を付与するという仕方で対象を構成する主観の機能と解されることになる。とはいえ、このような構成が可能になるためには、主観に対して自らを示現する客観の側から、主観がその認識の質料を受容しなければならず、しかも客観的世界を真に構成するのは、個々の主観ではなく、相互主観性ないしは共同主観性であるから、したがって構成の問題はさらに受動的志向性や他我認識の問題などへ発展していくことになる。
以上の諸特徴に加えて、現象学のもう一つの重要な性格はつねに本質研究を目ざす点にある。フッサールが本質研究を重視するのは、真の学問は明証的で普遍妥当的な本質認識を希求するものだからである。しかるに、単なる事実研究からは偶然的な認識しか得られない。それゆえ現象学は、個々のリアルな体験事実を記述するのではなく、範例としてのそれら諸事実からそれらの本質への形相的還元を行い、本質直観と本質分析の方法によって、意識体験の構造と機能を解明しなければならない。このように現象学は、リアルな事実から純化されたイデア学(=本質学)であるがゆえに、純粋現象学ともよばれている。
[立松弘孝 2018年10月19日]
『立松弘孝訳『現象学の理念』(1965・みすず書房)』▽『立松弘孝訳『内的時間意識の現象学』(1967・みすず書房)』▽『立松弘孝他訳『論理学研究』全4巻(1968~1976・みすず書房)』▽『長谷川宏訳『経験と判断』(1975/新装版・1999・河出書房新社)』▽『フッサール、デリダ著、田島節夫監訳『幾何学の起源』(1976/新装版・2014・青土社)』▽『立松弘孝編訳『世界の思想家19 フッサール』(1976・平凡社)』▽『渡辺二郎他訳『イデーン』1〜3(1979〜2010・みすず書房)』▽『細谷恒夫編訳『世界の名著62 フッサール他集』(1980・中央公論社)』▽『田島節夫著『人類の知的遺産58 フッサール』(1981・講談社)』▽『フィンク著、新田義弘・小池稔訳『フッサールの現象学』(1982・以文社)』
現象学的哲学を確立したオーストリア出身のユダヤ系ドイツ人。1886年にユダヤ教からルター派キリスト教に改宗。学生時代はライプチヒ,ベルリン,ウィーンの各大学で数学と自然科学を専攻し,83年数学の論文によりウィーン大学の博士号を取得。84年から2年間ウィーンのF.ブレンターノのもとで哲学を学び,それ以後哲学研究に専念した。職歴と生前の主要著書は以下のとおりである。87年から1901年までハレ大学私講師,この間に,基数概念の心理学的分析を試みた《算術の哲学》(1891)と《論理学研究》全2巻(1900-01)を公刊した。後者は現象学の誕生を告げる記念碑的労作である。01年にゲッティンゲン大学助教授,06年に教授となり,《厳密な学としての哲学》(1911)と《純粋現象学と現象学的哲学のための諸考想》(通称《イデーン》)第1巻(1913)を出版して,彼が指導する現象学運動は最初の隆盛期を迎えた。16-28年はフライブルク大学教授,退官後も同地で研究活動をつづけ,《形式論理学と超越論的論理学》(1929),《デカルト的省察》(フランス語訳版1931),《ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学》(1936)などを公刊した。50年以降,彼の遺稿を中心に著作集《フッセリアーナ》の出版が継続されている(84年現在23巻まで既刊)。13-30年には現象学の機関誌《哲学および現象学研究年報》計11巻と別巻1冊が出版され,M.シェーラーの《倫理学における形式主義と実質的価値倫理学》やM.ハイデッガーの《存在と時間》などを掲載して,現代哲学に深甚な影響を与えた。
フッサールが活躍した時代は,数学,物理学など諸科学の理論体系を支える基本的諸概念の意味が動揺して,その再検討を迫られた時代,すなわち〈諸科学の危機〉が顕在化した時代であった。したがって哲学界においても,科学的認識の方法と基礎づけをめぐる論理学的および認識論的諸研究が重視され,とりわけ19世紀末ころには経験心理学に依拠したそれらの研究(心理学主義)が優勢であった(《算術の哲学》はこの系統に属する)。しかしそれらの試みの多くは相対主義的な真理論や懐疑論に陥りがちであった。このような状況の中でフッサールも終始一貫,学問論的諸問題に最大の関心を示し,現象学による論理学と認識論の新たな基礎づけを通して,哲学全般を〈厳密な学〉として確立しようとした。彼によれば真に学問的な認識は,絶対的な確実性と普遍妥当性をそなえていなければならない。それゆえ彼は絶対に確実な所与を見いだし,そしてそれを現象学的研究の出発点にしようとした。この条件を充足する第1の所与は,反省的直観によって直接明証的に把握される自我の〈意識現象〉すなわち自分自身の知覚体験や認識体験の内在領域である。したがって,これら意識体験の構造と機能を記述することが,現象学的研究の第1の課題となり,そしてその結果,意識の本質特性はその志向性(すなわちつねに何らかの対象に関係し,それを思念すること)にあることが確認された。次いでこの特性と関連する第2の課題は,志向される〈対象現象〉としての諸事物とその世界の根源的な在り方を,あくまでも意識体験との相関関係の中で解明することであり,そして第3の課題は,意識する自我それ自身の存在性格を考察することである。換言すれば,認識論的研究と存在論的研究と自我論の三つが,フッサール現象学の主要な研究領域であり,しかもこれら3分野を〈自我が対象を意識する〉という志向的構造に即してつねに相関的に考察する点に,最も重要な特徴がある。ヨーロッパ諸科学の危機を招来した根本原因は,ガリレイ的な物理学的客観主義とデカルト的な哲学的主観主義との分裂にあると見ていたフッサールは,この相関的考察の方法によって,主観と客観との間に新たな関係を回復しようとしたのである。
ところで上述した諸問題を解明する現象学の基本的性格を,フッサールは〈超越論的〉現象学および現象学的〈観念(イデア)論〉という言葉で表現している。認識論的反省以前の,日常の自然的態度におけるわれわれの関心は,もっぱら客観的諸事物に向けられ,しかもそれらは認識主観にとって〈超越的なもの〉として,意識作用とは無関係に実在しているかのように思われている。しかし,そのような超越的客観がいったいどのようにして〈これこれしかじかの存在者〉として,すなわち〈意味的に規定された対象〉として認識されうるのか,という疑問を解明するのが〈超越論的〉現象学の課題である。それゆえ現象学者は対象の実在を素朴に認める態度を一時中止(エポケー)すると同時に,反省のまなざしを自分自身の意識作用そのものへ向けるための現象学的還元(または超越論的還元)を行わねばならない。この還元の結果あらゆる対象は,もはや端的な超越者とはみなされず,もっぱら意識の志向的相関者として,すなわち認識されている限りにおいて,意識体験の領域に志向的に内在するノエマ的対象(思念されている対象)として,その認識の可能性と存在性格を究明されることになる(ノエシス)。この超越論的還元と並行して現象学者はさらに,個々の事実をその本質(形相=イデア)へ還元する形相的還元を行わねばならない。なぜなら学問が真に求めているのは,単なる事実認識ではなく,本質認識であり,しかも個々の事実はその本質と関係づけられることによって初めて真に論理的に理解されうるからである。現象学的観念(イデア)論の特徴は,このように事実学に対する本質学の,あるいはまた感性的直観に対する本質直観の優位を認める点にある。フッサールの現象学が〈純粋〉現象学とも呼ばれる理由は,このように本質と意味を固有の研究対象としているからである。
この超越論的な純粋現象学においては〈志向性〉も,もはやただ単に対象への関係を意味するのではなく,あらゆる対象に意味と妥当性を付与するという仕方で,対象を構成する機能と解される。とはいえこの構成の機能も,対象自身が意識主観に対してみずからを示し与えることとの相関関係において可能になる。換言すれば,認識のヒュレ(質料)は現出している対象の側から与えられねばならない。そしてまた,このような仕方で対象を構成する主観(ないし自我)は,単なる経験的主観ではなく,超越論的-純粋主観であるとされ,世界に内在する経験的自我と世界を構成する超越論的自我との間の統一性と差異性の問題や,意識の流れの時間性とその中での自我の同一性の問題などが,自我論の新たな研究課題となる。しかしそれにしても,世界はもとより各事物も個々の主観に対してのみ存在しているのではない。それゆえ超越論的主観性は究極的には間主観性であるとされ,そしてこのことと関連して他我認識の方法が,意識主観の身体性や歴史性の問題と絡めて考察される。これらの諸問題に加えて,後期のフッサールは諸科学の成立基盤としての〈生活世界〉の問題をも主題化して,科学的認識の成立過程をいっそう具体的に解明しようとした。
《危機》書によれば,フッサールは〈真の哲学と真の理性主義とは同一である〉との確信のもとに,上述した一連の諸問題を探求したのであり,そしてその究極の意図は,理性に対する信頼の喪失に起因するヨーロッパ的人間性の危機を救うことにあった。彼によれば,理性的存在者であることが人間の最も基本的な本質であり,そして理性とは〈あらゆる事物や価値や目的に究極的にみずから意味を与えるもの〉のことである。理性主義を擁護し顕揚するこの思想は,ナチズムの狂躁に対する老哲学者の警告と抵抗の言葉でもあった。彼の現象学は,その志向性の概念をはじめとして,本質直観や記述を重視する方法論上の諸特徴によって,現代哲学のみならず,心理学,精神医学,社会学,言語哲学など広範囲の人間科学に深い影響を与えている。日本からも,田辺元,九鬼周造,高橋里美,尾高朝雄ら多くの学者がフッサールのもとへ留学した。
→現象学
執筆者:立松 弘孝
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1859~1938
ドイツの哲学者。現象学派の祖。彼の現象学は先験的純粋意識を,本質直観によってとらえようとする純粋記述学。彼はこれを全学問の基礎学であるとした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…日常の意識概念から出発したヘーゲルにおいてさえ,〈意識の学〉とは〈絶対精神〉に至るまでの〈精神の現象学〉なのである。その意味では,カントの構成主義はフッサールに継承されたと言ってよい。彼においては,意識は〈何ものかの意識〉として,対象定立的〈志向性〉を本質とするが,志向性はまた,受動的に与えられる〈生活世界〉をはじめ,知的に構築される科学の諸理念に至るまでのいっさいを〈構成〉する総合の働きでもあったのである。…
…デカルトも,一連の探究事項のうちにわれわれの知性が十分に直観しえないものが現れたならば,そこで停止すべきだとした。フッサールは,現象学的還元の対概念として,この語を用いている。現象学の主題の一つは,あらゆる対象的存在者の真の在り方を,認識主観の意識作用との相関関係の中で究明することにある。…
…フッサール現象学の用語で,自我共同体,モナド共同体とも呼ばれる。彼によれば,私にとって存在するものはすべて,その存在の意味を,私自身の意識領域から汲みとるのであるから,〈我在り〉が私の原初的世界にとっての根源的な志向的根拠である。…
…その立場は〈現象主義〉ともよばれる。フッサールの〈現象学〉も,〈還元〉という方法的操作をおこなった上でのことであるが,意識現象の記述を目ざす。といっても,流れ過ぎる個々の意識現象をではなく,それらの現象のそなえている本質構造を記述するのである。…
…ヘーゲルにあっては,現象学はもはや仮象の理論ではなく,感覚的経験から絶対知へと生成してゆく精神のそのつどの現れ(現象)をその必然的な順序において記述する作業を意味した。この語はさらにその後,20世紀の初頭にフッサールによってふたたび採りあげられ,彼自身の哲学的立場の表示として使われる。やがてこの立場がフッサールの直接間接の弟子たちによって受け継がれ,さらに日本,フランス,アメリカへと移植されて20世紀の主要な哲学的思潮の一つとなったため,今日では現象学といえば,フッサールにはじまるこの哲学的立場を指すのが通例である。…
…(3)それにしても,経験の統一ということを考えれば,われわれもカントのように,〈すべての表象には‘われ思う’が伴いえなければならない〉と言うことはできる。その点では,意識の働きに,受動的で非人称的な層から能動的で一人称的な層に至るまでの動的展開を想定した晩年のフッサールの思想は,再考に値するものであろう。意識【滝浦 静雄】。…
…それは,初めから物の名称ではないので,ただわれわれの意識の働き方のうちに求められるほかはないのである。哲学史上でも,自我の存在が〈われ思う〉に結びつけて考えられたり(デカルト),認識の統一原理として論理的に要請されたり(カント,フッサール)したのも,そのためである。なお,主体が主体自身に再帰的にかかわるということは,主体がみずからのうちにある同一性を認めるということである。…
…意識の本質性格を示す,フッサール現象学の術語で,現象学の研究領域全体を示唆する主要概念。彼の恩師ブレンターノは,〈対象の志向的,心的内在〉という中世スコラ哲学の用語を借用して,物理的現象と異なる心的現象の特性は,対象に関係し,志向的にそれを内蔵している点にあるとした。…
…フッサール現象学の用語で,リアルな空間的事物の現れ方を示す術語。われわれが事物を知覚しうるのは,事物自身がその色彩や形態を,われわれに射映してくるsich abschattenからである。…
…〈全体が真理である〉と説くヘーゲルの真理概念も,弁証法的に統合されたあらゆる経験の整合的全体を究極的真理と見るわけであるから,やはり整合説に属すると考えてよい。 しかし,今日では述定判断の真理性の根拠を追求し,それが前述定的経験の明証性に基礎を置くと見るフッサールやハイデッガーのような考え方もある。彼らは,存在者がそれにふさわしい経験においてあらわに立ち現れていることを根源的真理と見るのであり,これは原初のalētheia的真理概念の復権と見てよい。…
…存在論と呼ばず広く〈対象論〉を説いたのはマイノングである。さらにフッサールは事実学に本質学を対立させ,事実的諸学は〈形相的諸存在論eidetische Ontologien〉に理論的基礎をもつとし,〈実質的・存在論的諸学科〉は〈実質的領域〉に区分される〈実質的存在論〉ないし〈領域的存在論regionale Ontologie〉に基づき,〈形式的・存在論的諸学科〉は〈形式的領域〉による〈形式的存在論formale Ontologie〉に基づくと説いた。またN.ハルトマンは新カント学派から《認識の形而上学綱要》(1921)によって存在論の哲学者へと転換し,実在的世界の無機,有機,心,精神の4階層とそれらの範疇とを説いた。…
…そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。フッサールやメルロー・ポンティなどがその好例であって,フッサールによれば,知覚こそは対象自体を与えてくれる〈本源的〉知なのである。もっとも,知覚を対象の直接的把握とすることには反論もある。…
…たとえばカントにあっても,主観の〈外〉にあり,その意味で主観を超越しているものといわれるとき,単なる認識の対象が考えられていることもあれば,人間認識には近づきえない〈物自体〉が考えられていることもあり,むしろそのもつれ合いが彼の哲学的思索の原動力となったとさえ考えられるくらいである。(3)現象学的超越概念 現象学の創唱者フッサールもある時期から,言葉だけはカントに学んで〈超越論的〉という概念を使う。この場合は,客観的世界の存在を無条件に想定する自然的態度を中断し,おのれ自身の意識体験をもはや世界の内部で(たとえば物理的刺激によってひき起こされるような事実的できごととして)見ることをやめ,すべての存在者がそこに現れ,その現れ方によってはじめてその存在意味を確立されることになるような根源的場面として,つまりもはや世界内部の経験的事実ではないという意味で〈純粋〉な意識として見る立場・態度が超越論的とよばれるのである。…
…というのは,従来の合理主義的哲学は,日常的・世俗的な生活態度に対する理論的・超越的な態度の優越をア・プリオリに前提し,要請していたからであり,文化についての経験主義とは相入れないものであったからである。フッサールの現象学は,この二律背反を克服すべく,超越論的な世界定立以前の日常的な人間と世界の交わりにさかのぼって,理性(哲学)に新たな基礎づけを見いだそうとするものである。ここから,〈間主観性(共同主観性)〉という新しい概念が生み出されたが,これに関連して日常世界における人間存在のあり方を(批判的に)論じたものとして,ハイデッガーの〈ひとdas Man〉の議論が名高い。…
…しかし認識論の課題と方法に関する理念や,科学的認識に対する態度などについて,カントの見解を大きく乗りこえる理論はまだ現れていないと言ってよいだろう。19世紀末から20世紀初頭にかけて隆盛であった新カント学派の認識論や,続いて台頭し,有力学説の地位を占めたフッサールの超越論的現象学などは,基本的にはカント認識論の理念をなぞった学説である。
[現代における認識論]
しかし今日,〈科学の基礎づけ〉という超越論的認識論の理念にとどまることはもはや不可能であろう。…
…ギリシア語のヌース(精神,理性),およびそれと同系のノエイン(思惟する,知覚する,直観する)からの派生語noēsisに由来するフッサールの現象学の術語。フッサール自身,ある個所でノエインを〈直接的に見ること〉と訳し,〈対象を本質的に与える意識としての見ること一般〉は,したがって感性的直観だけでなく,むしろ本質直観が〈あらゆる理性的主張の正当性の究極の源泉〉であると述べている。…
…この転向については,F.ブレンターノの《アリストテレスにおける存在の多様な意味について》(1862)という学位論文の精読から得た感銘が契機になったと伝えられる。はじめリッケルトやE.ラスクの代表する新カント学派の影響を受け,ついでフッサールの《論理学研究》(1900‐01)から決定的な啓発を受け,15年に同大学の私講師に任ぜられると同時に,フッサールの助手としてその指導のもとにアリストテレスの現象学的解釈にたずさわった。この哲学史研究を深めていくうちにフッサールの超越的観念論とたもとをわかち,アリストテレスの形而上学のうちに余映をとどめている初期ギリシア思想の存在経験の傾向を深化させ,これによって〈cogito,ergo sum〉を拠点としたデカルトに始まる近代的思惟の限界を突破することに努めた。…
…E.フッサールの現象学の方法に依拠して法を解明しようとする法哲学・法学。フッサール現象学じたいの発展のどの段階に拠るかで異なるが,初期現象学の〈本質直観〉の方法に拠るものとしてライナハA.Reinach,シュライアーF.Schreier,カウフマンF.Kaufmann,フッサールG.Husserlの諸著がある。…
…フッサールの現象学の誕生を告げる記念碑的著作。その第1巻《純粋論理学序説》は1900年に,そして6編の論文から成る第2巻の《認識の現象学と認識論のための諸研究》は01年に公刊された。…
…ここに理性と自我を前提とした従来の科学知がいかに表層の意識の範疇にとどまっているかを知らしめたのである。フッサールの現象学にみる本質直観も,認識の底流にあるものを見ようとする点でフロイトと同時代の発想であった。しかしフロイトは大筋としてヘルムホルツ派の物理的生物学の立場を崩さなかった。…
※「フッサール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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