フビライ

精選版 日本国語大辞典 「フビライ」の意味・読み・例文・類語

フビライ

(Khubilai) 蒙古帝国の第五代皇帝(在位一二六〇‐九四)で元朝の初代皇帝(在位一二七一‐九四)。廟号世祖ジンギスカンの孫。大都(北京)を都として国号を元とし、一二七九年、南宋を滅ぼして中国統一した。金・宋にならって中央集権体制を確立し、一方ではカンボジアビルマ(現ミャンマー)などを征し、また日本征服を企てるなど帝国の版図拡大に努めた。漢名忽必烈。クビライ。(一二一五‐九四

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「フビライ」の解説

フビライ
Hubilie

1215.8.28~94.1.22

クビライとも。中国の元の初代皇帝(在位1260~94)。モンゴル帝国5代ハン(汗)にあたる。漢字表記は忽必烈。廟号は世祖。チンギス・ハンの末子トゥルイの三男。4代ハンのモンケ(憲宗)の弟。モンケを助け中国の征服に従い,大理国(雲南)・チベットなどを征服。1259年モンケが没すると,翌年帝位につく。67年大都(現,北京)に遷都し,71年国号を大元とする。79年南宋を滅ぼし,中国の統一を完成。高麗を属国とし,日本や東南アジアを攻めて服属を要求。日本に対しては1268年(文永5)以降,再三使節を送り服属を要求するが拒絶され,74年の文永の役,81年(弘安4)の弘安の役で東征軍を派遣したが失敗。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「フビライ」の解説

フビライ Khubilai

1215-1294 元(げん)(中国)の初代皇帝。
在位1260-94。太祖10年8月28日生まれ。1274年(文永の役),1281年(弘安(こうあん)の役)の2度,日本に遠征軍をおくり,服属をせまった。至元31年1月22日死去。80歳。クビライとも。漢字表記は忽必烈。廟号は世祖。

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改訂新版 世界大百科事典 「フビライ」の意味・わかりやすい解説

フビライ
Khubilai

世祖(元)

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百科事典マイペディア 「フビライ」の意味・わかりやすい解説

フビライ

世祖(元)

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世界大百科事典(旧版)内のフビライの言及

【元】より

…憲宗没後の空位の時期に乗じてついにそれは現実化した。憲宗治下の9年間を通じて漢地総督に任ぜられていた諸王フビライが漢地勢力をバックにまず第5代ハーンに自立するや,これに呼応するかのごとく西北3ウルスがソグディアナ占拠に続いてオゴタイ家のハイドゥ・ハーンを擁立した。その成立よりまさに半世紀,大帝国はついにここに分裂する。…

【世祖】より

…モンゴル帝国第5代のハーン(汗)として即位したが,治世中に生じた帝国の分裂の結果,中国を中心とする東アジアに拠って元朝の創設者となる。名はフビライKhubilai。世祖とはその廟号,モンゴル語での尊号はセチェン・ハーン。…

【チンキム】より

…中国,元の世祖フビライの次子。母はオンギラト氏チャブイ皇后。…

【モンゴル襲来】より

…蒙古襲来,蒙古合戦,元寇,また文永・弘安の役ともいう。
[日蒙交渉]
 1266年8月,モンゴルのフビライ・ハーンは日本と通好するために日本招諭の国書を草した。これは68年1月に日本へもたらされ,鎌倉幕府を経て朝廷へまわされた。…

【モンゴル帝国】より

…第2代のオゴタイ・ハーンは,34年に金朝を討滅し,36‐42年にバトゥにヨーロッパ遠征を行わせ,これらの結果,華北とロシアを版図に加えた。第4代のモンケ・ハーンは,52年にフレグに西征させ,イスマーイール教国とアッバース朝を滅ぼし,イラン・イラク方面を領土に加え,フビライに大理国を滅ぼさせて雲南を支配下に入れ,チベットを招降させ,別に高麗を属国化し,南宋征討を開始した。南宋征服は元朝の世祖フビライによって79年に達成され,こうしてモンゴル帝国は古今未曾有の大版図をもつ国家となった。…

※「フビライ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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