フランクランド

化学辞典 第2版 「フランクランド」の解説

フランクランド
フランクランド
Frankland, Edward

イギリスの化学者.薬局徒弟となった後に,1845年ロンドンでL. Playfairの実験助手となった.同地でA.W.H. Kolbe(コルベ)と知り合い,ともにマールブルク大学でR.W.E.Bunsen(ブンゼン)に学ぶ.1847年に帰国してHampshireのQueenwood College講師となり,J. Tyndall(チンダル)の同僚となった.1848年再度渡独して,1849年博士号を取得.1851年新設のマンチェスター大学のOwens College化学教授,1857年ロンドンのセント・バーソロミュー病院化学講師,1863年ロイヤル・インスティチューション教授を歴任.1865年A.W. Hofmann(ホフマン)の後任として王立鉱山学校教授となり,イギリス化学教育の中心人物となった.エチル遊離基の研究中,はじめての有機金属化合物ジエチル亜鉛を得た.また,多くの有機金属化合物の新合成法を見いだし,これらの研究から,原子が特有の結合能力をもつことを知り(1852年),原子価概念の端緒となった.石炭ガス,水質検査法にも関心をもち,N. Lockyerと太陽スペクトルを研究(1869年)し,ヘリウム発見の糸口をつくった.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「フランクランド」の意味・わかりやすい解説

フランクランド
Edward Frankland
生没年:1825-99

イギリスの化学者。ランカシャー私生児として生まれる。薬局の徒弟ののち,ロンドンのプレーフェアLyon Playfair(1818-98),ドイツのR.W.ブンゼンに学んだ。1849年学位を得て,マンチェスターのオーエンズ・カレッジ,セント・バーソロミュー病院,王立化学大学(のちに鉱山学校に併合)などの教職を歴任した。有機化合物の基に関する研究から,亜鉛メチルなどの有機金属化合物を発見し,その構造研究によって,52年原子価の概念を提唱。また,有機金属化合物の反応性を利用した多くの新合成法を発見した(1863-70)。68年J.N.ロッキャーとともに太陽スペクトル中にヘリウムの暗線を観測したほか,生理学や栄養学にも業績を残す。65年以来上水道および河川水質保全にも貢献し,その功により97年ナイトに叙される。
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世界大百科事典(旧版)内のフランクランドの言及

【有機化学】より

… ウェーラーの発見から以後の約50年間は,有機化学の建設期であった。1850年代におけるフランクランドEdward Frankland(1825‐99),クーパーArchibald Scott Cooper(1831‐92),F.A.ケクレの原子価の考えがでて,有機化学に初めて学問的基礎が与えられた。A.M.ブトレロフはこの考えを発展させて化学構造式と構造が1対1の関係にあることを,ケクレはベンゼンの構造をそれぞれ明らかにした。…

【有機化学】より

… ウェーラーの発見から以後の約50年間は,有機化学の建設期であった。1850年代におけるフランクランドEdward Frankland(1825‐99),クーパーArchibald Scott Cooper(1831‐92),F.A.ケクレの原子価の考えがでて,有機化学に初めて学問的基礎が与えられた。A.M.ブトレロフはこの考えを発展させて化学構造式と構造が1対1の関係にあることを,ケクレはベンゼンの構造をそれぞれ明らかにした。…

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