百科事典マイペディア 「フランツ[2世]」の意味・わかりやすい解説
フランツ[2世]【フランツ】
→関連項目カール[大公]|ハプスブルク[家]
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…メディチ家の家運もしだいに衰え,ジャンガストーネの死(1737)によって断絶してしまった。トスカナ大公国
[啓蒙的改革]
トスカナ大公位はオーストリア皇女マリア・テレジアの夫ロートリンゲン(ロレーヌ)公フランツ・シュテファン(フランツ2世)のものとなった。ポーランド継承戦争の結果ポーランド王位を追われたスタニスワフ・レシチニスキーにロートリンゲンが与えられることになり,その代償にトスカナを得たわけである。…
…しかしプロイセンのフリードリヒ2世大王がシュレジエンを占領,バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトが相続権を主張すると,マリア・テレジアは40年オーストリア継承戦争に直面する。45年ドレスデン和約で,シュレジエンを失うが,世襲領の相続とともに夫フランツ1世Franz I(神聖ローマ皇帝,在位1745‐65)に皇帝位を確保した。戦後は軍・行財政など国内改革を進め,外交でも数世紀にわたって敵対関係にあったフランスとの同盟を成功させ,プロイセンの孤立化を図り,七年戦争ではロシアとともにフリードリヒ2世を苦しめたが,シュレジエンの奪回には失敗した。…
※「フランツ[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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