デジタル大辞泉
「フロマンタン」の意味・読み・例文・類語
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フロマンタン
ふろまんたん
Eugène Fromentin
(1820―1876)
フランスの画家、作家。ラ・ロシェルに生まれる。パリに出て法律と絵を学ぶ。アルジェリアに旅行、当時の東方趣味の流行が幸いしてオリエント風景画家として盛名を馳(は)せ、絵筆によって生計をたてたが、画家フロマンタンの声価は、死後、急速に低落した。だが、告白体の小説『ドミニック』(1863)の作者として、フロマンタンはいまも独自の価値と魅惑を失っていない。この作品は、ほとんど事の起こらぬ恋愛小説という点では、たとえば堀辰雄(たつお)の小説に近いところがあるが、編中には鋭い記号論を含み、音楽の小説的転位という試みがみられ、奥行が深い。フランス人の田園詩情に寄せる愛着が冷静緻密(ちみつ)に描かれているのも特徴である。別にフロマンタンには、1875年のベルギー、オランダ旅行中の日記に基づいてファン・アイク、メムリンク、ルーベンス、レンブラントらを論じた『昔の巨匠たち』(1876)がある。これは、絵画の見方のもっとも優れた指南書である。
[杉本秀太郎]
『杉本秀太郎著『小説の音楽』(『文学演技』所収・1977・筑摩書房)』
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フロマンタン
Fromentin, Eugène
[生]1820.10.24. ラロシェル
[没]1876.8.27. サンモーリス
フランスの画家,小説家,美術批評家。 19歳でパリに出てまもなく,純真な愛を捧げていた少女の死にあい,その思い出が後年の自伝的小説『ドミニック』 Dominique (1862) の主題となった。 1846年アルジェリア旅行から帰国後,コローの影響を受けた風景画を発表,好評を博した。その後もアフリカに魅せられ,数度アルジェリア旅行をした。紀行『サハラの夏』 Un Été dans le Sahara (57) ,『サエルの一年』 Une Année dans le Sahel (58) を発表,パリ・コミューン後,オランダ,ベルギー旅行の成果『往時の巨匠たち』 Les Maîtres d'autrefois (76) を発表。絵画の代表作は後期の『鷹狩り』 (63,オルセー美術館) 。
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フロマンタン【Eugène Fromentin】
1820‐76
フランスの画家,小説家。ラ・ロシェル近くのサン・モーリスSaint‐Maurice生れ。一時,法律を学ぶが,鋭い感性に恵まれ,早くから絵画や文学に心を引かれ,法律を捨てて絵の勉強に専念する。彼の得意としたのは風景画で,《ラ・ロシェル近郊の農場》(1847)で画家として立つが,また北アフリカに数回旅行して,そこの風景を描き,オリエンタリズムの代表的画家として知られる。美術評論には,フランドル,オランダの17世紀の画家たちを論じた《昔日の巨匠たち》(1876)がある。
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「フロマンタン」の意味・わかりやすい解説
フロマンタン
フランスの画家,作家。アフリカの風物画で名を成し,オリエンタリズムの代表的画家として知られる。《昔日の巨匠たち》などの美術批評も書いた。半自伝的小説《ドミニック》(1863年)は恋愛心理を繊細な文体で描きフランス心理小説の代表的傑作の一つとなる。ほかに紀行《サハラの夏》など。
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