百科事典マイペディア 「ブハラ・ハーン国」の意味・わかりやすい解説
ブハラ・ハーン国【ブハラハーンこく】
→関連項目ウズベキスタン|コーカンド|サマルカンド|タジキスタン|タジク[人]
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ウズベク族が中央アジアに建設したスンナ派イスラム国家。シャイバーニー朝(1500-99),ジャーンJān朝(アストラハン朝ともいう。1599-1785),マンギットMangit朝(1753-1920。ただし1740年にはアストラハン朝から実権を奪っていた)は,いずれも主としてブハラを首都としたため,合わせてブハラ・ハーンBukhārā Khan国と呼ぶ。16世紀後半のように,国力が充実して産業の栄えた時期もあったが,イランに成立したシーア派のサファビー朝によって,イスラムの中心地である西アジアから切り離された形となり,近隣のカザフ族,ヒバ・ハーン国,ホーカンド・ハーン国等との争いや,国内の封建的細分化に悩まされて,国勢は概して振るわなかった。1868年にロシアの保護国となり,1920年ブハラ人民ソビエト共和国の成立をもって滅びた。
執筆者:堀川 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ヒバ・ハーン国では18年トルクメンのジュナイド・ハーンが独裁をしき,ウズベク農民を抑圧していたが,革命によって20年4月ホラズム人民ソビエト共和国が成立,23年10月に社会主義共和国となった。ブハラ・ハーン国でも20年夏の革命によって青年ブハラ党が政権をとり,10月にブハラ人民ソビエト共和国,24年9月ブハラ・ソビエト社会主義共和国となった。そして同年10月,トルキスタン,ホラズム,ブハラ3共和国の領域の民族的境界画定によってトルクメン・ソビエト社会主義共和国とともにウズベク・ソビエト社会主義共和国が成立する。…
…彼らは,アブー・アルハイルの孫シャイバーニー・ハーンのときに,マー・ワラー・アンナフルやホラーサーンの定住地域に侵攻し,1507年にはティムール朝を滅ぼす。これがシャイバーニー朝で,その後,ジャーン朝(アストラハン朝),マンギット朝と,ブハラを中心とした王朝が続いたため,これらを総称してブハラ・ハーン国と呼ぶ。また別の一派は,16世紀初頭ホラズムにヒバ・ハーン国を建設し,18世紀初頭には,フェルガナを中心にホーカンド・ハーン国が建国された。…
…タジク人には,ムスリム(イスラム教徒)が多い。
[歴史]
タジキスタンは1929年までウズベク(現,ウズベキスタン)共和国の一部であったので,概説的な叙述の重複を避けるため,ここでは共和国の領域の大部分を占めていたブハラ・ハーン国を中心として述べることとし,それ以前については〈タジク族〉,革命前後については〈ウズベキスタン〉の項目を参照されたい。 1865年,南下してきたロシア軍は,中央アジアの中心都市タシケントを占領,66年タジキスタン北部のホジェント(のちレニナバード,現フジャンド)とウラ・チュベをおとした。…
※「ブハラ・ハーン国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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