デジタル大辞泉
「ブラガ」の意味・読み・例文・類語
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ブラガ
Braga, Teófilo
[生]1843.2.24. ポンタデルガダ
[没]1924.1.28. リスボン
ポルトガルの詩人,文学史家。ポルトガル共和国臨時大統領 (1910,15) 。ポルトガル文学の系統的研究の創始者。 1859年最初の詩集『緑の葉』 Folhas Verdesを発表。実証主義の信奉者としてその哲学に基づいた作品を多く残した。詩集『時代の幻想』 Visão dos Tempos (1864) のほか,『ポルトガルにおけるロマン主義の歴史』 História do Romantismo em Portugal (80) ,『ポルトガル文学における近代理念』 As Modernas Ideias na Literatura Portuguesa (92) ,『ジル・ビセンテとポルトガル演劇の起源』 Gil Vicente e as Origens do Teatro Português (98) など。
ブラガ
Blaga, Lucian
[生]1895.5.9. ランクラム
[没]1961.5.6. クルージ
ルーマニアの詩人,哲学者。ドイツ観念論哲学と表現主義の影響を受け,のちに独自の文化哲学を築き,ルーマニアの思想界に深い影響を与え,弟子の M.エリアーデを通じて,現在のヨーロッパの思想界にも影響を及ぼした。主著『文化と認識』 Culturǎ si cunostinţǎ (1922) ,『認識3部作』 Trilogia cunoasterii (31~34) ,『文化3部作』 Trilogia culturii (44) ,詩集『光明の詩』 Poemele luminii (19) ,『眠りの賛美』 Lauda somnului (29) ,戯曲『少年十字軍』 Cruciada copiilor (30) ,ゲーテの『ファウスト』の訳 (55) 。
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ブラガ
没年:1911.3.21(1911.3.21)
生年:1840.3
明治期のお雇い外国人。香港で生まれたポルトガル人。香港の英国造幣局をへて香港政庁秘書局に勤務ののち,大阪の造幣寮の技術指導のため日本に招かれた香港の元英国造幣局長キンダーの部下として明治3(1870)年来日した。造幣寮では勘定役兼帳面役に就任,地金銀の受け渡しを複式簿記法で記帳整理し,また職員に複式簿記を講義した。造幣寮の事業が軌道にのり,8年お雇い外国人は解職されたが,彼は大蔵省に招かれ,官庁簿記の設計を指導し,省内外の職員に複式簿記を講義して,同省が企図した官庁統一金銭会計制度の確立に大きな貢献を果たした。11年任期を終えて退職,弟と簿記学校を経営したのち,20年大阪および神戸駐在ポルトガル副領事に就任。33年上海へ渡り,次女の嫁ぎ先の一家の事業に参加,同地で死去した。墓は上海にあったが,のちに長男の日本人妻の娘によって神戸修法ケ原墓地にあるブラガ一族の墓に移された。<参考文献>西川孝治郎『日本簿記史談』,細谷新治『商業教育の曙』下
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ブラガ【Lucian Blaga】
1895‐1961
ルーマニアの詩人,哲学者。トランシルバニアの出身で,ウィーンに留学し,哲学を学んだ。帰国後12年間外交官として勤務し,1936年にクルジュ大学の文化哲学の主任教授となった。《認識の三部作》(1922),《文化の三部作》(1944)など,多くの文化哲学の著作がある。また,生の歓喜を神話と自然の世界に託して歌う《光の詩》(1919),人間の魂の深部をえぐる《眠りの賛歌》(1929)などの詩集のほか,劇作,評論も多い。
ブラガ【Braga】
ポルトガル北部,ミーニョ地方および同名県の主都。人口6万5008(1981)。3世紀末,ローマ帝国の属州ガラエキアの主都となる。聖ヤコブ伝道の地と伝えられ,イベリア半島におけるキリスト教化の重要な拠点であった。のちにはゲルマン人の一派,スエビ族が建てた王国の首都(409‐585)となる。12世紀初頭より18世紀末まで大司教領で,中世には大司教管区をめぐってサンチアゴ・デ・コンポステラと対立し,トレドとも首座を争った。
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ブラガ Braga, Vicente Emilio
1840-1911 ポルトガルの教育者。
1840年3月香港生まれ。同地のイギリス造幣局につとめる。明治4年(1871)来日,大阪造幣寮勘定役となり,日本にはじめて簿記法を導入。8年大蔵省にまねかれ簿記法をおしえた。20年大阪・神戸駐在ポルトガル副領事となった。1911年3月21日死去。71歳。
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