精選版 日本国語大辞典 「ブラーエ」の意味・読み・例文・類語
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… ところで,地球から見た図2における水星の運動は,図3のごとく周転円の中心Oを太陽に重ね,導円を太陽の年周軌道円に重ねてしまっても,導円と周転円の半径比を元どおり保ち,さらに相互の角速度の比も元どおりに保つかぎり,まったく同じであることは明らかであろう。実はT.ブラーエが考えた宇宙モデルはこの型のもので,地球を中心に太陽が回転し,その太陽を中心に(すべての)惑星が回転するというものであった。 さて,次に太陽を固定し,その運動を地球みずからが回転することに変換すると,われわれはそこにコペルニクスの太陽中心説が現れたことに気づく(図4)。…
…円周の1/4の目盛環に0゜~90゜を目盛り,これに円の中心を通る可動の視準尺を取り付けたものである。観測の精度を高めるためにいきおい目盛環は大型になり,史上有名なT.ブラーエの四分儀は円の半径3mでこれを子午面内に固定し,南中時の天体の高度を測定して天体の赤緯を求めた。この目盛環の角度1′の目盛の間隔は0.9mmとなるが,ブラーエは目盛の読取りに副尺をくふうして10″まで測定したと伝えられる。…
…中国では古くからその字が示すようにすい星は天体であると考えられていたが,西洋ではアリストテレス以来,長い間すい星は虹や稲妻のように,地球大気内の現象だと思われていた。 1577年に出現した大すい星を,デンマークのT.ブラーエは詳しく観測した。同じすい星を約650km離れたプラハで観測したものと比較して,周囲の恒星との関係位置にまったく差がないことから,すい星は月よりも遠いことが知られ,天体であることがわかった。…
… この書にはコペルニクス自身の観測の結果も記されているが,その数は少ない。彼はむしろ理論家であったが,デンマークの天文学者T.ブラーエはすぐれた実験家であった。彼は当時としてもっとも精密な天文観測を続けて行い,その結果を記録した。…
…彼は観測家というよりもむしろ思索的な天文学者であった。これに対しデンマークのT.ブラーエは,16世紀最大の観測天文学者であった。この偉大な天文学者が行った火星の観測を整理することによって,ドイツのケプラーは有名な惑星運動の3法則を樹立した。…
…天才レオナルド・ダ・ビンチがまだ若かった1471年,ドイツで最初のニュルンベルク天文台がレギオモンタヌスによって建設され,実証精神を重視して盛んに観測が行われるようになった。当時の大観測家T.ブラーエが,デンマーク近海の島にウラニエンボリ天文台を築いたのは1576年のことであり,これこそ近世最初の本格的な天文台といえるものである。彼は六分儀や四分儀などの器械を作ってここに置き,精密な天文観測を行ってその記録を残した。…
…彼は黄金でつくった鼻をつけ,血に飢えた復讐(ふくしゆう)政治を行ったので〈鼻切られ皇帝Rhinotmetus〉とあだなされたが,この金製のつけ鼻をみがくのはだれかを殺すことを決めたときだと恐れられた。また,デンマークの天文学者T.ブラーエも決闘で鼻をそがれたので,金製の鼻を接着剤でつけていた。鼻を切り落とす刑は劓(ぎ)といい,中国古代の五刑の一つであるが,似た刑罰はイギリスにもあった。…
※「ブラーエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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